首切り地蔵

かつてこの地には処刑場があり、宇都宮城主の本多正純が幕府の監視役が100人以上を処刑したと伝えられている。過去に、処刑された罪人の遺骨が掘り起こされたという事があったそうだ。

夜にはオーブが目撃されたり、白沢街道沿いでは交通事故が起きるとも言われており、周辺では不審火による火災も起きていると言われている。

受刑者は地蔵尊の前で罪状刑量を申し渡された後に地蔵尊前にて打首となり、首は道路沿いの曝台(さらしだい)に7日間曝され、その後は縁者のある者は引き取られたが無縁の者は地蔵尊礎石の背面内側に穴を掘って首を投げ入れたと伝えられている。

そして、胴体は南に行った「白山神社」の裏に埋められたと伝えられている。

首切り地蔵は受刑者の霊を供養するために建立されたものであり、処刑場跡にに地蔵尊を祀り受刑者の死後の安楽を祈念している。

お堂の中には『享保八年 首切地蔵』と彫られた地蔵尊が安置されている。享保8年は江戸時代中期で西暦で言うと1723年。

栃木県宇都宮市岩曽町1354−8

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