鎌倉時代に合戦で死んだ武士たちの怨霊を供養するために、1356年(文和5年)2月20日に周辺の住民によって建てられたと考えられている。
泣塔が建つ土地を所有した者は貧乏になる、泣塔を見た者が後日幽霊と遭遇したり、祟りに遭う等と昔から言われている。
1943年(昭和18年)周辺の土地が軍に買い上げられ、横須賀海軍工廠深沢分工場が造営されることになった。
泣塔周辺も取り壊される予定であったが、周辺住民は古くからの祟りの言い伝えがあったため反対した。
実際に塔の撤去作業中たびたび怪我人が出たり、付近の工事現場で5名が死亡する事故が発生した。
また、夜中に異様な音が聞こえてきたりと異変が起きていた事から取り壊しは中止となり、塔も保存・供養されることになったという。
神奈川県鎌倉市寺分11