江戸時代の1702年(元禄15年)、お玉という10代の少女が江戸の奉公先の家から伊豆の実家に逃げ帰ろうとした。しかし、関所手形を持っていなかったため箱根関を通ることができなかった。
そこで、関を通らずに周囲の山にあった柵を通って関所破りをしようとしたが、関所の番人に捕まってしまった。2か月後、お玉はに斬首刑にされてしまった。
その後、「那津奈可池(なずながいけ)」でお玉の首を洗い、地元の住民が哀れんで「お玉ヶ池」と呼ぶようになったとされている。
神奈川県足柄下郡箱根町元箱根103−227