江戸時代の初期ごろ、治水工事で名高い伊奈備前守(いなびぜんのかみ)が、木曽川の支流をせき止める工事を進めていたが、工事は難航しいた。
そんな中、工事の本陣で働いていた貧しい農民の与三兵衛(よそべえ)さんが工事の完成を願う人柱に志願をし、慶長16年(1611)の夏に自ら川に飛び込み命を捧げた。その後工事は順調に進み、堤防が完成しましたという。
実はこの民話はもう1つ、別の内容でも伝わっています。
工事が難航して疲れた民たちが、人柱を立てることで解決しようと思い立ち、与三兵衛さんを無理やり埋めてしまった。
その後、雨が降る夜は人柱となった場所からお寺まで、ゆらゆらと浮かぶ青白い火の玉が目撃されるようになり、「死んでからも与三兵衛がお参りをしているんだろう」や、「浮かばれずに彷徨っているのだろう」などという噂が立つようになった。
そして、その火の玉のことを「与三の火」と呼ぶようになり、明治時代末期まで地元の人は誰でも目撃していたと伝わってたそうな。
愛知県一宮市起本陣山