八反坊

江戸初期から昭和の初期まで続いた呪いによって血縁が絶えてしまったという恐ろしい逸話が残る祠。った人物「八反坊はったんぼう」のお墓の上に祠を作り祀ってある。

そんなことが有るせいかこの付近で丑の刻参りをする者も居ると言われている。

丑の刻参り

丑の刻参りは、昔の草木も眠り、現世と隠世の境界が曖昧になる時間、丑の刻(午前1時から午前3時ごろ)に白装束に身を包み、鉄輪(かなわ)に3本のロウソクを立てて被り、一本歯の下駄を履き神社の御神木に憎い相手に見立てた藁人形に五寸釘(長さ約15cm)を打ち込むいう、日本に古来伝わる呪術の一種。

連夜この詣でをおこない、七日目で満願となって呪う相手が死ぬと言われています。呪い行為を他人に1度でも見られたら効力が失せるか、その呪いが自分に反ってきて死ぬと言われており、見た相手を殺さなければならないと言われています。

鉄輪(かなわ):3本のロウソクを立ててるのは「鬼の角」を表す。

一本歯の下駄:非常に歩きにくく、これも異形のものへ近づく修行の一環。

白装束:死に装束を意味し、覚悟を示す。

現代でも人里離れた神社の御神木に、新しい釘の跡や藁人形が見つかることがあります。しかし、これを行うには現代ならではのリスクが伴います。 他人の所有物(神社の木など)に釘を打てば「器物損壊罪」になります。また、呪っていることを相手に伝えると「脅迫罪」に問われる可能性もあります。

呪いに関連して、日本では「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。これは、呪いが成功しても失敗しても、相手だけでなく自分も破滅し、二つの墓穴が必要になるという戒めです。

八反坊

江戸時代の初め、栗田に八反坊というという人が住んでいました。

八反坊は年貢の割り当てや取り立てに当っていた公事人といわれ、弱い百姓が分限者からいじめられるようなことがあると、いつも弱い人達に味方して助けていましたので、百姓達から大変慕われていました。

ところが反対に分限者達からは嫌われ、何とかして八反坊を亡きものにしようと、あるとき、無実の罪をでっちあげ庄屋に訴えました。

庄屋もまた八反坊を快く思っていなかったので、ある日、ありもせぬ罪を着せて獄に入れ、村人を扇動せぬよう身を慎むように迫りましたが、八反坊は聞きいれず、ついに餓死しました。

百姓達は、情深く、義に厚く、村人に慕われていた八反坊の遺言どおり、庄屋の家のよく見えるこの地に、ていねいに葬りました。

それから庄屋にはよくないことが続き、絶えてしまったということです。

その後、お墓の上に祠が建てられ「八反坊」と呼んで、地元の人達が毎年お祭りを続けています。

一時期「のろい」の神として恐れられていた時もありましたが、今は事業の成功、病気の全快、その他困っている人達を助けて願いが成就することから、大願成就の神様として多くの人に親しまれています。

広島県庄原市東城町粟田

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