日本三大怨霊のひとつとして知られる、平将門。将門の呪いを題材した映画「帝都物語」の撮影中にも、機材の落下、火災等、様々な事故が起こったという。周りのビルが見下げるようにすると会社が傾き倒産すると言われている。
また、首塚にある石碑に触ると呪われるといった話や、落ち武者の幽霊が出没すると噂されている。
平将門の伝説
935年(承平5年)平将門は関東八州を制圧して独立国宣言をしたが、朝延軍に破れ処刑されて、首を京都五条河原に晒された。
将門の首は何ヶ月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び首が失った体を求めて東国へと怪光を放って飛んで行った。
そして、大手町の御手洗池に落下し(落ちた場所には諸説ある)祭られた。
江戸時代になると、逆賊の汚名を解かれたことにより、首塚が同地に建立され、鎌倉時代伝染病が流行り平将門の祟りと恐れられ、新教上人というお坊さんが塚を修復し神社やお寺にまつったところ祟りは治まったという。
築土神社や神田明神同様に、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきたと言われておりこの地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が生まれた。
そのことを最も象徴的に表すのが、関東大震災後の跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大臣早速整爾らが相次ぎ14人が怪死が起こった。
将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊したという。
第二次世界大戦後にGHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとした時、ブルドーザーを運転していた日本人が事故を起こして死亡、その後も不審な事故が相次いだため計画を取り止めたという事件もあった。
結果、首塚は戦後も残ることとなり、今日まで、その人気のない様に反し、毎日、香華の絶えない程の崇敬ぶりを示している。近隣の企業が参加した「史蹟将門塚保存会」が設立され、維持管理を行っている。
隣接するビルは「塚を見下ろすことのないよう窓は設けていない」「塚に対して管理職などが尻を向けないように特殊な机の配置を行っている」とされることがあるが、そうした事実はない。
お笑い芸人の爆笑問題・太田光はブレイク前、【聖地巡礼】将門首塚(上)都心に今も生きる伝説というTVの企画でこの首塚にドロップキックをしたことがあり、そのせいでしばらくの間まったく仕事が来なかったという噂がある。
日本三大怨霊
菅原道真:天満宮・菅原神社(学問の神様)
平将門:神田明神など(除災厄除の神様)
崇徳天皇:白峯神宮(厄除け・縁切りの神様)
東京都千代田区大手町
- 2008年(平成20年)01月31日(木)【聖地巡礼】将門首塚(上)都心に今も生きる伝説
- 2014年(平成26年)7月19日(土曜)幻解!超常ファイル「東京ミステリー!平将門の首塚」
- 2022年(令和4年)7/21(木) 日本全国 最恐心霊スポット完全ガイド
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