首塚の心霊スポット13 件掲載
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平将門の首塚(将門塚)
日本三大怨霊のひとつとして知られる、平将門。将門の呪いを題材した映画「帝都物語」の撮影中にも、機材の落下、火災等、様々な事故が起こったという。周りのビルが見下げるようにすると会社が傾き倒産すると言われている。
また、首塚にある石碑に触ると呪われるといった話や、落ち武者の幽霊が出没すると噂されている。
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畠山重忠公首塚
神奈川県横浜市旭区役所の裏手の住宅街にある「首塚」と「首洗い井戸」の跡地で、この付近では鎧を着た侍の霊が現れる、首洗いの井戸跡からうめき声が聞こえるなど言われている。
1205年(元久2年)に北条時政に謀反の疑いをかけられた畠山重忠は、二俣川の合戦に敗れ、討ち死にし、重忠の首が洗われた井戸を「首洗い井戸」首が切られた場所が「首塚」であると言い伝えられている。
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馬加康胤首塚
この付近では火の玉(もしくは人魂)がゆらゆらと浮遊するという噂が有るそうだ。
足利義正の命を受けた軍により市原市八幡付近で討死にしをし、死体は八幡の地に葬られた。その後、家臣が首を持ち帰り、堂の山に葬ったと伝えられている。また、堂の山は当時の戦乱の死者を葬った場所とも伝えられているそうだ。
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韮神山
1975年(昭和50年)村田町沼辺の高校生ら数人が韮神山の中腹に在る首塚で写真撮影を撮影したところ、侍と思われる心霊写真が撮れたと雑誌でも取り上げられ一時騒ぎになったそうだ。
韮神山の中腹という紹介しているサイトが多いようだが、実際は隣の中腹に在る1189年(文治5年)の「奥州合戦」の際に討取られた「照井太郎高直」という武士の首塚だそうだ。
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大須賀山(堂の山)首塚
室町時代前期の武将、馬加康胤(まくわりやすたね)の首を祀る首塚や、この地で千葉一族を巡る激しい争いがあり大勢の人達が死んだとも言われている。
供養の為に多くの仏塔やお墓が有る事からも、心霊現象がよく起こるといわれている。
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九鬼嘉隆の首塚
九鬼嘉隆が自刃し首が埋められた場所で心霊スポットとして認知されており、気分が悪くなると言った霊障や、取り憑かれておかしくなる、心霊写真が撮れると言われている。
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菊姫の首塚
菊姫は戦国時代、宗像氏一族の女性で像氏の家督を巡る争いに巻き込まれ、1552年4月16日( 天文21年3月23日)に悲劇的な最期を遂げたことで知られている。
菊姫の死後、数々の伝説が残された一つとして、菊姫が殺された日である3月23日に、首塚周辺では首のない菊姫の亡霊が首を探し彷徨っているという。また、それを見た翌年には身体が無い菊姫が現れると言われている。
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史跡 関ヶ原古戦場 西首塚
徳川家康の命により、領主であった竹中重門が関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬した場所。JR東海道本線の敷設の際に埋葬されていた白骨が大量に出土した事から、当時、数千人が亡くなっていたと推定されている。
その為か、ここでは人魂を見たという人が居る様だ。
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蒙古塚(蒙古軍供養塔)
曰くが有る事から、心霊スポットと言われているのだろうが、特に霊の目撃情報などは無いが、この場所で120人ほども首を刎ねられており「首切り塚」とも呼ばれている。
供養塚は、1928年(昭和3年)に日中友好として造られた。
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煙島 厳島神社
厳島神社の境内に平敦盛の首塚とされる石の祠があり、これに触れると祟られると言われている。
また、この島に上陸の際には必ず首塚にお供え物をしなければ怪我や病気をすると言われており、供養や慰霊の目的以外で上陸する人はいないようだ。 詳細を見る
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千本浜の首塚
1580年(天正8年)田軍と小田原の北条軍との「千本浜の合戦」が行われた古戦場跡地にある首塚で、1900年(明治33年)に暴風で倒れた松の木の下から多くの頭蓋骨が発見され、地元の人がこれを集めてここに供養した。
発見された頭蓋骨の多くは10代後半の若者で、頭蓋骨の数と刀傷の深さから戦いの激しさが伺われたと、現地解説板に記載されている。
夜になると首のない若い武者が出るとの噂や火の玉が出ると言われている。
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簗瀬八幡平の首塚
1931年(昭和6年)3月10日に墓参りに来た小学生に偶然発見された首塚で、頭骨が主体であり刺創のあるものもなど約150体分の頭蓋骨が埋まっていた。
発見された頭蓋骨の形は中世の日本人の特徴を示していたという。
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平八石
平八石は沼田景義(平八郎)という人物の首塚で、怨念が宿っている為あまり近寄ってはいけないと言われている。戦国時代に旧領を奪還するために立ち上がった沼田景義(平八郎)が、真田昌幸の返りちにあい斬首された。
そして、実際に生首を見て本人かどうかを確かめる首実験の為に石の上に平八郎の首が置かれたという曰くつきの首塚となっている。