1580年(天正8年)田軍と小田原の北条軍との「千本浜の合戦」が行われた古戦場跡地にある首塚で、1900年(明治33年)に暴風で倒れた松の木の下から多くの頭蓋骨が発見され、地元の人がこれを集めてここに供養した。
発見された頭蓋骨の多くは10代後半の若者で、頭蓋骨の数と刀傷の深さから戦いの激しさが伺われたと、現地解説板に記載されている。
夜になると首のない若い武者が出るとの噂や火の玉が出ると言われている。
発見された頭蓋骨
骨片を側頭骨岩様部に着目しつつ左右に分類すると、
右98個、側頭骨:男性(70.4%)、女性(29.6%)
左105個、側頭骨:男性(62.8%)、女性(37.2%)
左右の平均:男性(66.6%)、女性(33.4%)
これは最小限105体の遺骨があったことを示す。当初はその2倍~3倍の遺体が埋葬された推測された。(埋葬以来300年以上が経過し、明治33年に改葬された際に失われものもある。)
沼津市:鈴木尚氏の調査より。
静岡県沼津市本1910−185