関ヶ原の戦いの敗北後戦国武将の九鬼嘉隆(くきよしたか)が自刃して首が埋められた場所で、甲冑を身にまとった侍が夕暮れ時や霧の深い日に見た人が居るそうです。特に、首塚のある山頂付近から海を見つめる後ろ姿を見たという話がいくつか存在します。
夜に近づくと鐘や太鼓の音が聞こえてきたり、周囲には誰もいないはずなのに、「ガシャガシャ」という甲冑を纏た人が歩いているような金属や革が擦れるような音を聞いた人や、周囲にある玉砂利を踏んで歩いているような「ジャリッ・・ジャリッ・・・」という音が聞こえてくるとも言われています。これは嘉隆が今もなお、自分の守り抜いた海を監視している音だと言われることもあります。
首塚の周辺は、真夏でもひんやりとした空気が漂う場所として知られています。また、誰かに強く見つめられているような圧迫感を感じる、急激にスマホの充電が吸い取られるように急激に減っていくという体験をした人も居るそうです。
九鬼嘉隆(首塚)の基本情報
戦国時代、鳥羽城主で水軍の将として活躍した九鬼嘉隆は1602年(慶長6年)この答志島で自刃し、九鬼嘉隆の首は「鳥羽城の見えるところに埋めてくれ」との遺言通り、鳥羽城を一望できる築上山(つかげ)の山頂に埋葬されました。
胴を葬ったとされる墓は、首塚より東北東に約250m離れた所に在るところに五輪塔が建てられ、辺りはひっそりと静まりかえっており、墓の左隣には嘉隆が切腹した場所とされる洞仙庵(現在は廃寺)跡の石碑。
三重県鳥羽市答志町
