史跡 関ヶ原古戦場 西首塚 徳川家康の命により、領主であった竹中重門が関ケ原の戦いで戦死した兵士たちを埋葬した場所。JR東海道本線の敷設の際に埋葬されていた白骨が大量に出土した事から、当時、数千人が亡くなっていたと推定されている。 その為か、ここでは人魂を見たという人が居る様だ。 「西首塚」は、別名「胴塚」とも呼ばれてる。祠が二つあり、東は東軍関連、西は西軍関連の首塚とする説もある。 東首塚でも人魂の目撃は有るのだろうか。 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原2233