この石塘橋を深夜に渡っていると、コロコロ・・・と小石が転がってきてそちらの方を見ると誰も居ないという心霊現象や、どこからか固いものを叩くカチカチという音が聞こえてくるという。
この場所では人柱伝説が残り、石塘築堤完成までにも多数の犠牲者が出ている為そういった心霊現象が起きていると言われている。
石塘
住時菊池川の主流は横島山と久島山間を流れていた。
加藤清正は菊池川の水路変更と石塘築堤によって、数百町歩の耕地が出来ることに着眼し、天正十七年(1589年)工を起こし十七年間の歳月をついやし、慶長十年(1605年)これを完成した。
その間、横島久島間約四百米の築堤は最も難工事で人柱と読経の加護によって築かれたと言い伝えられている。
人柱の跡
加藤清正の小田牟田新地干陸で最も困難だったのは石塘の湖止工事であった。
築いては幾度となくこわれうので人力では如何ともしがたく、古例にならって人柱を入れ、横島山頂より読経して湖止に成功したと言う。
その場所がここであると伝えられる。
この築堤に当たり多数の犠牲者と人柱に立った人の霊を祀ったのが大園にある本田大明神である。
熊本県玉名市横島町横島