「西国三十三か所」の札所の一つでもあり、京都七福神巡りの「寿老人」をお祭りするお寺としても知られていているが、殺されてしまった「お文(おふみ)」の供養の為に描かれた「幽霊絵馬」があるお寺としても知られている。
毎年8月22~24日には「幽霊絵馬供養祭」と言うのが行わ実際の手鏡と絵馬を見る事ができる。
1816年(文化13年)
寺の近くに、竹屋町通柳馬場で質屋を営んでいた八左衛門の家に江州(滋賀県)から来た10歳で百姓娘の「お文(おふみ)」という子守りをしていた。
働き者で真面目な「おふみ」は、よく子供の面倒をみる娘でであったが、八左衛門は1つ気にかかることが有った。
それは、革堂(行願寺)によく足を運ぶことだった。
そして、子守歌を知らない「おふみ」は巡礼者らが詠む御詠歌を覚えてしまった。
「花を見て 今は望みの革堂の・・・」と家へ帰っても子守りの時に歌っていた。
「おふみ」が革堂(行願寺)に通うのが気に入らなかった八左衛門は、その歌を聴くと激怒し「おふみ」を蹴るや殴るやして殺してしまった。
そして、遺体を庭に埋めの両親へは「娘は男と家を出ていった」と知らせました。
この知らせに両親はあわてて江州から上京し、八左衛門に謝りました。
しかし、「おふみ」の両親は八左衛門の話に納得できず、娘の無事を革堂の観音様にお祈りをしました。
すると娘「おふみ」の亡霊が現れ「ご主人に殺され、庭に埋められています、鏡と一緒に弔ってください」と頼みました。鏡は奉公に出るとき母親からもらい大切にしていた手鏡でした。
これにより八左衛門の悪事が分かり「おふみ」を不憫に思った両親は、供養のために「おふみ」の子守姿を絵馬に描き、手鏡を添えて革堂(行願寺)に奉納したという。
京都府京都市中京区行願寺門前町5−番地