多くの人が行きかい、若者たちで賑わいを見せる場所だがここは昔から恐れられてる心霊スポットとしても知られている。
三条河原では処刑場跡地となっていて多くの晒し首が行われていた場所だからだ。
晒された生首で知られているのは
1594年(文禄3年)8月25日、石川五右衛門
1595年(文禄4年)7月、豊臣秀次と、妻子侍女など39名が処刑され、首と共に1か所に埋められ見せしめの塚が作られた。
この塚は1611年(慶長16年)角倉了以の高瀬川開削時に塚と石柱が見つかり、現在も瑞泉寺の境内にある。
1600年、石田三成(安土桃山時代の武将)六条河原で斬首刑となり、三条河原で晒し首にされた。
1868年(慶応4年)4月25日、近藤勇(新撰組局長)板橋刑場(武蔵国板橋宿付近)で刑に処せられ、首を塩漬けにして運ばれ三条河原で晒し首となった。
京都府京都市中京区中島町113