稲永スポーツセンタ交差点から稲永公園中央駐車場にかけて幽霊を見たという噂が有り、駐車場で車を止めて休憩しているとリアウィンドウから老婆の幽霊が車内から覗き込んでいたという事が有ったそうだ。
また、北に在る「稲永公園 テニスコート」周辺の松林で2005年(平成17年)頃に首吊り自殺があったという噂や、公園ができる前は工場があって第二次世界大戦により壊滅的な被害を受け多くの死者が出たそうだ。
稲永公園の基本情報
1943年(昭和18年)4月1日に開園(都市公園法による設置は1992年(平成4年)4月1日[1])
稲永スポーツセンターや名古屋市港サッカー場などに加えて、野球場:6面、テニスコート:16面などを備え、運動公園として位置付けられている
参考:Wikipedia-稲永公園
稲永公園の歴史
1926 年(大正 15 年) 稲永公園として都市計画決定(約 10 万坪)
1939 年(昭和 14 年)10 月 面積 10 万坪のうち、1 万 7 千坪を愛知時計電機株式会社および渡辺甚吉氏より寄付を受ける。整備工事に着手
1940 年(昭和 15 年)3 月 さらに 1 万 7 千坪を買収
1943 年(昭和 18 年)3 月 整備工事完了
1943 年(昭和 18 年)4 月 陸上競技場、自転車競技場、野球場、庭球場、児童園等開園その後、第二次世界大戦により壊滅的な被害を受ける。戦後の住宅難を解消するため、東側の区域(現在の稲永東公園 3 万坪)を応急住宅用地として住宅部に貸与
1947 年(昭和 22 年)5 月 戦前の計画を廃止、戦前の区域に一部追加して 12 万 1千坪(39.93ha)を稲永公園として都市計画決定
1954 年(昭和 29 年)6 月 現在の稲永東公園の区域を削除し、南部地区が公園計画区域に追加される。若干の計画区域の変更が行われ、現在に至る(計画面積35.7ha)
1955年(昭和 30 年代)~ 整備工事開始
1959 年(昭和34年)9 月 伊勢湾台風。海上自衛隊の災害活動拠点になる。
1967 年(昭和 42 年) 国庫補助金を投入し、本格的な整備開始
1968 年(昭和 43 年)3 月 公園種別を海浜公園から運動公園に変更
1971 年(昭和 46 年) 幹線園路の築造、野球場 4 面、サッカー場 完成
1975 年(昭和 50 年) テニスコート 8 面、野球場 2 面、小園路 完成
1975年(昭和 50 年代)野球場・テニスコートの夜間照明施設、幹線園路の修景整備
1983 年(昭和 58 年) 全国高等学校総合体育大会のサッカー会場の 1 つに稲永公園のサッカー場が使われる(全面に芝の整備)
1985 年(昭和 60 年) 野鳥観察館 完成((財)日本宝くじ協会の全額補助)
1989 年(平成元年)7 月 稲永スポーツセンター開館
1993 年(平成 5 年)9 月 港サッカー場オープ
平成 6 年(1994 年) わかしゃち国体のサッカー競技が港サッカー場で実施さ
れる。
1996 年(平成 8 年) 災害対応型モデル公園として、防災施設整備を実施
2002 年(平成 14 年)11 月 18 日 藤前干潟がラムサール条約登録
2005 年(平成 17 年)3 月 稲永ビジターセンター 開設
2006 年(平成 18 年) 指定管理者制度導入(野鳥観察館、稲永スポーツセンタ
ー)
参考:稲永公園 管理運営方針(PDF)
愛知県名古屋市港区野跡5丁目