跡地の心霊スポット69 件掲載
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城山荘・鵜沼城址【跡地】
戦国時代に鵜沼城という城があった跡地に1927年(昭和2年)頃に「三輪市太郎」という犬山橋の建設に尽力した政治家が別荘を作った。
1930年(昭和5年)に「三輪市太郎」が亡くなってからは、彩雲閣の別館、井善中店、進駐軍の将校クラブと変わり、1953年ころ料理旅館「城山荘」として経営されていた。一時はかなり賑わっていたようだったが、1972年の火事をきっかけに廃墟となった。
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小曲園【跡地】
1952(昭和27)年に開業し、手抜き工事の増築を繰り返していたが、1982年(昭和57年)2月8
日に起きたホテルニュージャパン火災事故以降に厳しくなった安全基準の為に「適合マーク」を取得できずに1994(平成6)年に閉業した。 その後、建物は取り壊されず放置され、廃墟として心霊スポットと噂されるようになった。
当時は人影が見えるという心霊現象が多かったようだ。 -
日光ホテル【跡地】
閉業したのは良く分かっていないが、2001年頃から廃墟となり敷地内には廃車も放置され心霊スポットと言われていた。
当時は集団自殺をしたという噂があったようだが、それは誰かが流したデマだったが、幽霊を見たという人もおりどのような原因で出ていたのか真相は不明だ。 詳細を見る
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ホワイトハウス(若杉の白い家)【跡地】
福井県福井市若杉浜に有るという地元では知られたスポットだという廃屋が有った。
噂によると、ノイローゼになった父親が家族を皆殺しして一家心中をした家で、さらにその隣の家まで無理心中したと福井の新聞で報道されたという。
2階から足音や女性の声がしたという心霊現象や、2階を見ると若い女性がこちらを赤い目で睨んでるなど言われていた。
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女子美術大学付属幼稚園【跡地】
廃墟だった頃は、夜にラッパの音が鳴ったり窓に子供の霊が写りこむという噂があった。
幼稚園の向かいに聖血礼拝修道女会があったが現在はマンションになっている。修道院があった頃に集団自殺し、不可解な事件が起こったという噂もある。
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ホワイトハウス(小和清水の惨殺屋敷)【跡地】
千葉のホワイトハウスとも呼ばれている小和清水の惨殺屋敷は、一家心中があったと言われていた。
一家心中した幼い少女の霊が頻繁に目撃されていたという。道路側から見て二階の左側の部屋は霊的に危険だと言われていた。
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中村精神病院【跡地】
1990年に経営破綻し、その後しばらくして閉院となった精神病院で地元の人だけでなく周辺の県の人も知っているほどの有名な心霊スポットだった。
各部屋の窓に鉄格子が付けられ、不気味な雰囲気から恐れられていた。現在は解体され無くなっているが、施設の一部が残っているという噂があるようだ。 詳細を見る
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弁天山の洋館【跡地】
斜面に建っていた三角屋根の建物があった。各階は6畳ほどの大きさの部屋が一部屋づつしかないというとても奇妙な形であった。
廃墟の横にあるとされる古井戸は決して覗いてはいけないとされており、覗いてしまうと必ず不幸が起きると言われている。
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高子沼グリーンランド【跡地】
廃墟となった遊園地は不気味で心霊スポットとしての噂が広がった。噂としては、ジェットコースターから転落して死んだ人がいる。コーヒーカップでカップルが自殺したと言われている。
オバケ屋敷が出来る前は展望台が有り、そこでカップルが心中した。近くのペンションのオーナーが経営難で自殺した。鏡の部屋で自分以外の何者かが映るなどの噂があった。
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元卓球所(テニスコート)
元卓球所では、卓球をしていた人が近くの木にぶつかって死んだという噂がある。詳しい情報は無く、木にぶつかって死ぬという事はどういうことなのだろうかという疑問が残る。
それとは別に、この場所で事故にあったという人は居るようだ。
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旧余市水産会館【跡地】
不気味な雰囲気から、地元では心霊スポットというよりは肝試しスポットとなっていた。
洋館風な白い建物の廃墟。1926年(大正15年)に建設され漁業組合の事務所として使われていたが、1954年(昭和29年)を最後にニシンの余市湾への回遊が途絶え1966年(昭和41年)に事務所は移転された。 詳細を見る
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雷電温泉病院【跡地】
心霊スポットだった当時には霊安室が有り、そこでの心霊現象が多発したり、オーブなども頻繁に写っていたのだという。隔離病棟だったという噂もあったようだ。
山奥にありロッジ風の外観と内装でラドン温泉を用いた温泉治療を行っていたが、1983年(昭和58年)頃に廃院となり廃墟化し、心霊スポットとして噂されるようになった。
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三日月荘【跡地】
うるま市の伊波城跡近くにある旅館だった場所。写真を撮ると壁一面に人のこちらをのぞき込む幽霊の顔が写るという噂や、悪さをすると怨霊に壁の中に埋め込まれるという噂もあった。
幽霊が出る事件や自殺などの曰くは不明だが、昼間でも薄暗く不気味な雰囲気だったという。 詳細を見る
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神秘の黒真珠館【跡地】
この周辺が神々の聖地とも言われており、荒らすものには祟りがあるという噂があるようだ。
元々は「御嶽(うたき)」という琉球の信仰における祭祀などを行う施設があったがそれを潰して「太陽の村」というリゾート施設の一環として建設されたと言われている。
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シスター寮【跡地】
長崎では結構有名な心霊スポットとして知られていた、キリスト教関連の養育施設。
噂としては、シスターが集団自殺をしたという噂があり、寮から出る時に、シスター達の亡霊が待ち構えているという。また、散策をしているといつの間にか知らない誰かが増えているという噂も有ったようだ。 詳細を見る
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イジメもやまる日本発祥の地【跡地】
正式名は「イジメもやまる日本発祥の地 平和日本お誕生ご所 倭華宮 日本のルーツ・ヤマトの国センター とき若宮蓬莱山耶馬台国センター」という施設で、郷土史家・樫谷義広氏がここを日本発祥の地として一人で作り上げたが、2000年頃に廃墟化した。
施設の一部などが残っており、不気味な雰囲気が有るようで地元では心霊スポットとして言われることも有るようだ。
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西日本旭スポーツセンター【跡地】
1979年(昭和54年)から西日本最大級のレジャー施設として一部の施設が完成した状態でオープンしたが、広大な施設だったため全施設が完成することなく1990年ごろ廃園となった。
サイクリングロード、テニスコート、モトクロス場、プール、キャンプ場、スイス風のロッジなどが廃墟となり、不気味な雰囲気から心霊スポットと言われるようになったようだ。
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田中家(田中邸)【跡地】
噂によると、主人が気が狂ったように一家を惨殺したと言われており、新聞にも掲載され地元では有名な心霊スポットになっていた。
廃墟が有った当時では昼間でも薄気味悪く、視線を感じたり、叫び声が聞こえたりしたのだという。霊に腕を掴まれたという体験をした人も居る様だ。
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マルイ病院【跡地】
昭和60年頃に廃業し、暫く廃墟となり心霊スポットと噂されるようになったが、解体され現在ではガソリンスタンドになっている。
心霊スポットだった当時は、ここで手術すると死ぬ、廊下を歩く看護婦の幽霊を見た、手術室の明かりが点き手術中のランプがいきなり点く、カルテを持ち帰ると家に「カルテを返してください・・・」と電話が掛かってくると噂されていた。
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呪いの灯篭【跡地】
触ると呪われて死ぬという噂や、工事でこの灯篭をどかそうとすると倉庫が火事になったり、関係者が不幸に見舞われると言われており、地元でも有名な心霊スポット。
呪われると噂が有った事から勇気を出して触った者が居たが翌年に亡くなったという事もあったそうだ。灯篭が有った当時はお供え物などもされていたが、2014年にお祓いをし、撤去された。