江戸時代の1716年(享保元年)~1735年(享保20年)に隠れキリシタン120名処刑された場所で、遊び半分で行くと頭痛や体調不良になるなど霊障を受けることがあるそうだ。
キリシタンを処刑した後にこの付近では夜中に男女の悲鳴が聞こえる、村の中に殉教者の亡霊が現れるなど怪奇現象が起きたと言われ、夜には引き籠り外に出ることは出来なかったという。そんな事から怪奇現象を恐れ村を離れる者も多かったと言われている。
信徒の遺体は40人ずつ「海無沢」「朴ノ沢」「老ノ沢」の三か所に分けられお経と共に埋葬された。
この3つを「三経塚」と呼ばれ、「朴の沢」「老の沢の塚」の松は
切られ、塚は掘られ、原形をとどめているのは「海無沢の塚」一つとなっている。
宮城県登米市東和町米川 字西綱木