吉原遊郭の遊女の遺体を大量に投げ込んで弔ったために「投げ込み寺」とも言われるこのお寺では、無念に死んでいった遊女の怨念が渦巻いていると言われており、ここを訪れると急に悲しくなりボロボロと涙を流す事が有ると言われている。
浄閑寺の基本情報
1655年に建てられ、その2年後1957年に吉原の遊郭が誕生した。
1855年安政の大地震により多くの遊女が亡くなり、身寄りのない遊女はこの寺に投げ込まれるようになり「投げ込み寺」と言われるようになった。
新吉原総霊塔
1793年に身寄りの無い遊女を供養する為に「供養塚」が作られた。1929年供養塚の改修が行われ「新吉原総霊塔」となった。
江戸時代から昭和までに25000人以上の人がここで葬られたと言われ、1855年の「安政の大地震」、1923年の「関東大震災」、1945年の「東京大空襲」による死亡した遊女を含む。
首洗い井戸
江戸時代に親の仇である「平井権八」を追っていた「本庄兄弟」だったが、兄が返り討ちに遭い命を落としてしまう。
弟が兄の首を井戸で洗っているとその隙をつかれ、弟もここで殺されてしまったという。
近くには二人の霊を慰めるために首塚が建てられている。
東京都荒川区南千住2丁目1−12