とある体験談によると、風神鎮塚付近で突然の突風や原因不明の車の故障が起きるというがこれだけでは無い。
事の始まりは1755年(宝暦5年)の江戸時代、中平善之進が一揆を起こしその後処刑されるのだが、その後7日間暴風雨が続きそれを治めるために「風神鎮塚」を立てたと言われている。
1755年(宝暦5年)高知県で大規模な農民一揆が起こり、一揆の首謀者は、「中平善之進」で、裏切り者の存在や藩の力によって鎮圧された。
首謀者である「中平善之進」は処刑され、切り落とされた首の形相の凄まじさに人々は恐れおののいたという。
仲間に裏切られた中平善之進の怒りなのか、7日間暴風雨が続き高知城の天守閣が吹き飛んでしまったそうだ。
1886年(明治19年)にも高知県を暴風雨が襲い甚大な被害を被った。中平善之進の呪いだと恐れた民達は、善之進の生家のある東津野村北川と処刑地の中間点にあたる場所に「風神鎮塚」を建立して善之進の供養を図った。
1977年(昭和52年)国道197号線の拡幅工事の際に1つの塚が移動されることになり、ショベルカーが塚の下を掘っていくと、供養のために埋められた壷がいきなり勢いよく飛び出てきたという。
そして、その壷は地面に落ちても壊れることなく、むしろショベルカーの方が原因不明の故障で修理不能の状態になったと言われている。
高知県高岡郡津野町北川