この木を切ろうとした人は指が腐ってしまうとか、原因不明の発熱を起こして寝込んでしまうという話があります。
江戸時代藤堂監物の屋敷にあった事から監物の霊が宿っているためかも知れない、 太平洋戦争の時の空襲で焼け出された数多くの人が、この木の下へ逃れて来てそのまま亡くなられたからだという話もある。
古河の大いちょう
幹周囲480cm、 樹齢400年といわれ、津で一番の巨木で、戦災にも生き延び、 様々な歴史を見つめてきた。
このいちょうは、江戸時代藤堂監物の屋敷にあったため通称「監物い ちょう」とも言われる。 藤堂監物は藤堂藩の重臣であったが、明治3年 10月藩制が改革され、旧軍隊の解散・新軍隊の編成が行われた時、都合 により平民兵の方が先に編成されたことを不満とし、 旧士隊とともに建白書を大参事に提出した。 いわゆる監物騒動 (庚午の事変)といわれる事件である。
当時、長谷部と改称していた監物はその責めを負い切腹した。 まだ、27歳であった。
津市教育委員会
三重県津市西丸之内40