落武者の霊が出るとの噂が有るがこの場所ははっきりとしたことは分かっていない。しかし、城跡であることが近年の調査で分かった事から戦が行われていたのかもしれない。
百草城跡の基本情報
城跡と認識されたのは近年のことで遺構は明確に残っているが、歴史は不明で伝承も残されていない。1455年(享徳4年)山内上杉氏と古河公方足利氏が戦った立河原合戦か、1504(永正元年)の第二次立河原合戦で使用された一時的な陣城ではないかと推論している。
それより以前には真慈悲寺という寺院があり江戸時代には松蓮寺があったが、松蓮寺は明治時代初期に廃寺となり百草出身の生糸商人である青木角蔵がその跡地を買い取って百草園と名づけた。
昭和30年代に京王電鉄が買い取り京王百草園として、日本庭園と梅や紅葉など季節ごとの木々が楽しめる公園として整備されている。
東京都日野市百草2丁目11−86