塚にはかつて巨大な男松(黒松)が立っており、その姿は地面まで枝を垂らすほど壮大だった。大正初期に大雪のため倒れてしまい、仕方なく松を切り倒して上富の材木屋に売り渡した。
すると、松を切った者と松を買った者が相次ぎ急死してしまい、塚の祟りだと広まり恐れられたそうだ。
それ以外にも、織部塚の周辺をゆっくりと歩いている男性の幽霊が現れる事が多いようだ。他にも少年の幽霊が現れ直ぐにスーッと消えていくと言う話や、夜には織部塚の周辺で不気味な音や囁き声が聞こえることがあるという。
織部塚
この塚は、戦国時代村の開拓に尽くした大井四人衆の一人、新井織部を埋葬し祀ったものと伝えられている。
織部の子孫である新井本治氏の話によると、「昔は塚上に一人では抱えきれないほどの男松があり、地面をはうまでに枝が張ってそれは見事であったようです。
ある時、枝の一本が枯れたので祖父が枝おろしに出かけましたが、切り始めると鋸が折れてしまいました。その後、大正初期のこと大雪のため松が倒れてしまったので、仕方なく切り倒して上富の材木屋に売り渡しました。
すると松を切った者も、買った者も頓死するという騒ぎになり、それ以後はたたりを恐れてふれる者はいませんでした。」ということである。
現在、塚上には織部の後裔が建立した(推定幕末期頃)といわれる「日神皇」と刻んだ石碑と若木の松があり、村の開拓史を今に伝えている。平成五年三月
埼玉県ふじみ野市大井