鴻之舞鉱山

鉱山で多くの方が亡くなっており、深夜に人影を見たという話や、亡くなった労働者の霊が未だに彷徨っていると噂されている

当時は、鉱山の発展に合わせて、鉱山労働者とその家族の居住する街区が、藻鼈川・道道に沿って形成され、最盛期(1942年頃)には人口13,000を数えるまでになった。

鴻之舞金鉱跡の基本情報

鴻之舞鉱山は、元山鉱・倶知安鉱を中心に、金・銀・銅などを産出し、中でも金の埋蔵量は佐渡金山・菱刈金山に次ぐ日本で第三位の産金の実績だった。

1940年(昭和15年)には年間金2.5トン、銀46トンを産出。
1955年(昭和30年)には金年間2.98トンの最高産出量を記録した。
1973年(昭和48年)閉山。操業開始から閉山までの間に金72.6トンと銀1,234トンを産金をした。

地上には鉱山があったことを示す碑と鉱山で犠牲になった慰霊碑が建立されている。

北海道紋別市鴻之舞

地域 : 北海道
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著者: 管理人

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