旧佐倉藩の刑場で処刑されその遺体を切り刻まれ研究されていた。ここでは罪人の霊が出ると言われている。
以前は首洗い井戸があったが無くなっており、ここも霊が出ると言われている。
江原刑場跡の基本情報
惨い拷問の末に死んでいった罪人が、1843年(天保14年)に佐倉藩医でオランダ商館の医師によって医学を学んだ蘭方医蘭方医であった「鏑木 仙庵(こたに せんあん)」と「小柴 百之」「広瀬 元恭」らによって刑死者の腑分け(解剖)が行われていた。
成田道の道筋に面したここは佐倉城の西端にあたり「八町森」と呼ばれていた。
江原刑場跡(江原)
ここは旧佐倉藩の刑場であった。
天保十四年(一八四三年)三月 蘭医学研究のため、藩医・鏑木仙安が友人小柴百之・広瀬元恭と共に刑死者の解剖を行った。
これが佐倉藩最初の人身解剖である。
題目の供養塔は寛政八年(一七九六年)諸宗寺院の建立したもので、附近には首洗井戸がある。
〔京成臼井駅へ約二km(徒歩約二十四分)〕
昭和五十七年一月
千葉県佐倉市江原台1丁目28
オカモトデンキの裏手にあった処刑場跡の竹やぶがなくなり、石碑も移されていました。
こんな所を造成して、住宅地にでもするのでしょうか?(;^ω^)