枚岡神社 姥ヶ池

むかし、枚岡の里に一人の老婆が住んでいました。彼女は若い頃は大変な美人でしたが歳をとる頃には身寄りもなく貧しい暮らしをしていました。

夜なべ仕事(糸紡ぎなど)をするための油すら買えなかった老婆は、生活の困窮から、夜な夜な枚岡神社の拝殿から灯明の油(神様に捧げられた神灯の油)を盗むようになりました。

神社の神官や見張りが怪しんで調べたところ、老婆だと判明。咎めはされなかったものの、近所で盗みの噂が広がり、耐えきれなくなった老婆は姥ヶ池に身を投げて自殺しました。

老婆の遺体は、神聖な神社の油を盗んだ罪人として扱われたため、村人たちは彼女の亡骸をまともに供養することなく、野ざらしにして放置してしまったのです。

それ以来、雨の降る夜になると、その池の周辺から1尺(約30cm)ほどの青白い火の玉が現れ、鳥のような怪しげな鳴き声をあげながら飛び回るようになりました。

その火の玉をよく見ると、白髪の老婆の生首が口から激しく炎を吐きながら宙を浮いている姿だったとされています。

これを目撃した村人が恐怖のあまり数日後に亡くなったという噂が広まり、村人や神職を大いに恐怖させました。

それから特に「姥ヶ火(うばがび・祟りで怪火となった老婆)」という怪火が池周辺や夜道を飛ぶという話しが広まりました。

この「姥が火」は、鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』にも描かれるほど有名な妖怪となり、怪火現象の伝承地としてオカルトファンや歴史・民俗学ファンが訪れるスポットになっています。

「枚岡(ひらおか)神社」の境内裏手にある「姥ヶ池(うばがいけ)」には、江戸時代の怪談集『諸国百物語』井原西鶴の『諸国噺』などにも登場する、非常に有名な民話・怪異の噂が残されています。

画図百鬼夜行

1776年(安永5年)江戸時代中期の浮世絵師・妖怪絵師である 鳥山石燕 が刊行した妖怪画集です。日本の妖怪を体系的に描いた最初期の「妖怪図鑑」として知られています。

・諸国百物語(しょこくひゃくものがたり)

刊行年:1677年(延宝5年)江戸時代前期に刊行された怪談集で、日本各地に伝わる100の怪異・幽霊・妖怪の話を集めた作品です。

・諸国噺(しょこくばなし)

1693年(元禄6年)江戸時代前期の浮世草子作家である 井原西鶴 が晩年に著した短編小説集で西鶴の代表作の一つとされています。

枚岡神社 姥ヶ池の基本情報

現在、姥ヶ池は枚岡神社の拝殿から少し奥へ進んだ、緑に囲まれた静かな場所にひっそりと存在しています。

昼間は厳かな神域の一部ですが、生い茂る木々に囲まれているため陽が落ちると一気に薄暗くなり、独特の寂しげで冷ややかな空気が漂います。

姥が池(現地にある立て看板)

この池は昔から「姥が池」と呼ばれていました。それは今をさかのぼること約六百年前の出来事「悲しい老婆の身投げ伝説」に由来しています。その伝説とは、枚岡神社の御神燈の油が毎夜なくなり、火が次から次へと消えていました。

妖怪変化の仕業と不気味がられていましたが、その正体をつきとめると、生活に困っていた老婆がこの油を盗んでは売っていたのでした。

そのわけを知り、気の毒に思って老婆を釈放してやりました。しかし、人の噂が広まっていたたまれなくなり、老婆は池に身を投げてしまいました。村人は明神の罰が当たったとして誰も同情しませんでした。

その後、雨の晩になると池の付近に青白い炎が現れ、村人を悩ましたと伝えられています。

この物語は、井原西鶴の短編話など多くの俳諧、戯曲に「姥が池の姥が火」として登場しています。また、「和漢三才図会」「河内名所鑑」などにも記載されています。

平成23年3月東大阪市

大阪府東大阪市出雲井町7

参考資料

地域 : 近畿 | 大阪府
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著者: 管理人

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