1972年(昭和47年)昭和時代3月21日に奈良県明日香村にある高松塚古墳から、16人の人物、四神、日月など約1300年前に描かれた壁画が見つかり歴史的大発見となった。
しかし、発掘に関わった人物が次々と怪死していったという。
1972年(昭和47年)5月21日
歴史的大発見から二か月後、Aさんが突然苦しみだしたかと思うと、そのまま倒れ、亡くなってしまった。
死因は、肺がんだった。
彼は、肺がんによる激しく咳き込んだりする症状も無く、亡くなる前の日まで、とても元気であったという。彼の家族は、「古墳が発見されてから、夜中にうなされる事が多かった」と証言している。
Aさんは、発掘作業の資金集めや識者との連絡に活躍し、古墳発見の最大の功労者と呼ばれた人物だった。
1972年(昭和47年)8月21日
発見から5か月後、明日香村に住む女性Bさんが突然倒れた。Bさんは、それまで元気だったのだが、「体がだるい」と言い寝込むようになり、全身に、紫色のアザが浮かび上がってきた。
彼女は、「お腹に何かが詰まっている!」と、とても苦しがり、2日後に何か怖い物でも見たかのように、目を大きく見開いて亡くなった。
医師は、何の病気で亡くなったか、原因が解らなかった。彼女は、古墳の発掘作業を手伝った事があったという。
1973年(昭和48年)8月21日
発見からちょうど1年後。古墳のある上平田地区の総代Cさんが、自動車にはねられ亡くなった。
Cさんは、即死だったという。
自動車の運転手は、「よく前を見ながら運転していたが、Cさんの姿が一瞬消えた」と証言をしている。
間もなくして、Dさんが自ら命を絶った。
その日、彼は、家族といっしょに、好きなテレビ番組を見ていたが、ふと立ち上がり部屋を出て行った。探してみると、自宅の物置で、農薬を飲み、亡くなっていた。
Dさんの家族は、「自分から、命を絶つような兆候は見られなかった」しかし古墳発掘後に「悪夢を見るようになった」と証言をしている。
Dさんは、高松塚古墳の発掘の際に、最初に、クワを入れた人物だった。
1974年(昭和49年)1月4日
古墳が発見されてから、約2年後のEさんが交通事故で亡くなった。Eさんは、古墳から発見された副葬品などの修復作業や、壁画を模写する画家であったという。
合計5人が不可解な死を遂げた。
そんな事も有り「高松塚古墳の呪い」「高松塚古墳の祟り」だと言われている。
奈良県高市郡明日香村平田444