神社が心霊スポットでは無く道中の道が不気味で兵隊の霊が出ると言われている。兵隊の霊が出るようになった理由は分かってい。
竹谷神社の基本情報
1771年(明和8年)江戸時代に創建
当時、大峡村に長左ヱ門という農民がり、長い間病に苦しみ、神明に祈願していたところ、ある夜霊夢に白髪の翁が立った。
汝は正直で慈善であり、敬神の念が篤いが、いま病に苦しむのは禍津神のためである。自分は皇孫邇々杵尊である。私の骨を納めたのは此の可愛岳の麓で、谷の上に竹が繁っているところに六尺ほどの大石がある、この石を立て祈願すれば、病はたちまち平癒しようと告げ、光とともにご神体の翁が消えたという。
霊夢からさめ、夜が明けるのを待ちかねて山を尋ねると、竹の繁るところに大石があり、再拝して石に手をかけた途端、大石は自ら立ったという。長左ヱ門恐れをなし平癒を祈願すれば、身心たちまち全快した。この神慮に村民大いに驚き、これを伝え聞いた遠近の老若男女、昼夜参詣するもの幾万となり、邇々杵尊の霊蹟と称えたという。
特に領主の崇敬篤く毎月参詣したため、仮屋ができ、また参道にも八軒茶屋という地名が残っている。
明治四年十一月村社川島神社へ合祀されたが、明治十一年九月、氏子一同該社再復鎮座出願し、明治十五年二月十五日許可となる。
宮崎県延岡市大峡町7967