昔、長門前司という人の娘が2人が居たが、姉は既に嫁いでおり、妹の方はまだ結婚もせず厄介になっていた。その妹が27歳か28歳になった時、病いに侵され死んでしまった。
姉らは、妹を櫃に入れ鳥辺野へ運んでいった。車から櫃を下すと、遺体が入っているはずが妙に軽い。蓋がほんの僅かばかり開いており、開けて確かめてみると、遺体は入っていなかった。
消えた遺体を探し、来た道を戻ってみると、戸口に遺体が置かれていた。
どうしたらよいものかと、親しい人が集まり話して話しているうちに夜が明け、再び櫃に入れ今度はしっかりと納めた。
夕刻になり妹の入った櫃を見てみると、また蓋が少し開いている。恐る恐る中を見てみると、また遺体が消えていた。探してみるとまた玄関先に置かれていた。
再び妹の遺体を櫃に入れようとしたが、まるで岩や大木のように重く遺体を動かすことが出来なかった。妹はこの地に葬って欲しいのだろうということで、この地に埋めて塚を作った。
その後、姉もこの地を去り、人々も気味悪がって去ってしまい、この辺りは誰も住む者がなくなったという。
この塚は男性と縁のなかった女性を慰めるために設けられた塚であり、それ故、未婚の女性がこの前を通れば破談となるという言い伝えがある。
班女(はんじょ)とは男に見捨てられた女性という意味で使われていた。
この近くに何とも縁起のいい繁昌神社というのがあるが、班女(はんじょ)がなまり「はんじょう」となったという話も有る。
京都府京都市下京区糸屋町218−6