戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期だった銀山では管理も厳しく、銀を盗む者や、石を一つ持ち帰ろうとしただけでも処刑されていたと言われている。
着物を着た女性の霊を見たという人や、坑内では男性の霊と思われるうめき声が聞こえて来た、などと噂がある。世界遺産登録の為に消された「石見銀山処刑場跡」では、刀を振り上げた怖ろしい形相の侍の霊の目撃も有るようだ。
近くには処刑された罪人の遺体を捨てていた「千人壷」が心霊スポットとしては知られているが、ここでも心霊現象が起きているようだ。
石見銀山の基本情報
「石見銀山」は「大森銀山」「薩摩銀山」とも言われ、全盛期には日本の銀約3割を占めていたという。明治に入り銀が枯渇したことにより銅などが採鉱さていたが、価格の暴落や坑内の環境の悪化により1923年(大正12年)に閉山した。
1969年(昭和44年)日本を代表する鉱山遺跡として国によって史跡に指定された。
2007年(平成19年)6月28日にニュージーランドのクライストチャーチで開催されていた第31回世界遺産委員会でユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決まり、7月2日に正式登録された。
島根県大田市大森町イ1597−3