終戦後の1945年(昭和20年)8月16日爆発事故により111名の若者が亡くなったという悲惨な事故が起こり、亡くなった兵隊と思われる霊体の手首を見たと言う者や「熱い、熱い、助けて・・・」と苦しむような声が聞こえるという噂が有るようだ。
震洋隊殉国慰霊塔
太平洋戦争終戦後の1945年(昭和20年)8月16日に高知県の第128震洋隊の出撃命令が出た。
震洋隊(しんようたい)とは、爆薬を積んで特攻する小型船部隊の事で敵船に突っ込み自爆し船を沈める部隊。
出撃の準備中に、震洋艇の一つから出火。大量の火薬を積んでいた為に次々と爆発が起こり火の海になり111名の若者が犠牲になった。当時、震洋の全長は5~6m、ベニア板製の小さな船体に約300kg(250kgとの記載も)の爆薬が積まれていた。
亡くなった兵隊の霊を弔う為に1956年(昭和31年)8月16日に「震洋隊殉国慰霊塔」が建設された。
高知県香南市夜須町手結山
高知県香南市夜須町手結山1553