慰霊碑の心霊スポット66 件掲載
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花魁淵
古い着物を着た血みどろの女性が出るとの噂があり、事故も多発していたという。
国道411号線(青梅街道)旧道沿いの、甲州市と北都留郡丹波山村の境にあり、地元では銚子滝と呼ばれている。花魁淵の名は、戦国時代に起きたと伝えられる悲劇に由来する。
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佐波川トンネル
手掘り感がものすごくボコボコの壁をしている昼間でも怖いと言われてるトンネルで、1990年代に心霊番組や心霊特集などによくテレビで取上げられ、全国的に有名になった。
ここでは、落盤事故で5人が亡くなっており慰霊碑が建てられている。トンネル内ではラップ音が聴こえる、白い車で行くと事故に合う、心霊写真が取れるなどの話がある。
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天心白菊の塔
1968年大規模な土砂崩れが起こり観光バスが飛騨川に水没し104名が亡くなった。事故以降のもだえ苦しむ声が何処からか聞こえて来るという。
慰霊塔から飛騨川の方へ写真を撮影したら川から突き出している手が写っていたという話しや、上半身しかない女性の霊や男性の霊を見たという話もあるようだ。
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沖縄師範健児之塔
沖縄戦に参加した沖縄師範学校の男子学生によって1945年(昭和20年)3月31日に14~16歳の学徒による少年兵部隊で編成された「鉄血勤皇隊」を祀った碑。
「鉄血勤皇隊」は伝令や通信、切り込み、急造爆雷(箱に火薬を詰めた爆弾)を背負っての特攻を行った。
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仁科の戦線鉱業(中国人殉難者慰霊碑)
誰も居ないはずなのに周りの森からこちらを見ている視線を感じたり、気配を感じるという事があるそうだ。
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土浦駅の慰霊碑(土浦事故慰霊碑)
1943年(昭和18年)に土浦駅で貨物列車と普通列車の衝突があり、110名が死亡した犠牲者のために建てられた慰霊碑です。
戦時中の混乱期だったため慰霊碑が建てられたのは事故から22年後の昭和40年のこと。
うやむやにされてしまった犠牲者の怒りと悲しみの霊が出ると噂されている。JRの敷地内に有り無断で立ち入る事は出来ない。
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城勝公園
人魂の目撃や女性の霊が出るという噂や、トイレから子供の霊がこちらを見ていて近づくとスーッと消えるという噂が有る。
戦時中に空襲の火から逃れようと荒川に飛び込み多くの方が亡くなり、遺体置き場として使われていた。戦争で亡くなった方を弔う為に慰霊碑も立てられている。
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最上川 殉難の碑
日本最大急流の一つでもある「最上川」では54年前(1970年)に子供を助けるために2名の教員が亡くなり国道47号線には「殉職の碑」と言うのが建てられている。この周辺では霊気の様なもの感じることが有るという。 詳細を見る
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黒鳥山公園
戦没者を弔う為に大きな忠霊塔が建てられており、写真を撮るとオーブが写る事があるという。忠霊塔の付近と池のあたりでの霊の目撃が多いと言われている。
忠霊塔の前で花火をすると内側から扉を叩くような音が聞こえてくるとの噂もあるようだ。一部では公園で自殺する人も多いとの噂も有るようだ。
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幽霊マンション・ローソン【跡地】
マンションが建つ計画があったが、計画中や建設中に怪事件などが起き完成されないまま廃墟となった。噂では会社が倒産したとの話も。
その後、取り壊しになったのだが、怪事件の噂が広がり付近の解体業者誰も手を付けず大阪の方の業者が行ったと言われている。
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桂橋
1988年(昭和63年)に出来た橋で、毎年のようにここから飛び降り自殺する人が居るという噂がある事から飛び降り自殺者の霊が出ると言われている。
後ろから橋の欄干を叩く音がするが、振り返ると誰も居ないという話や、いきなり女性の霊が飛び出してくるということがあるそうだ。
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富士森公園
第二次世界大戦には沢山の防空壕があったとされている。戦後、この防空壕では幽霊が出るという噂があったが、整備される事になり防空壕が埋め立てられる事になった。
しかし、関係者が謎の病になったり事故にあったり、または行方不明になりと不可解な事が続いた為に埋め立ての工事が中止になったという曰くが残されている。
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千人塚 海難漁民慰霊塔
1614年(慶長19年)10月25日漁に出ていた漁船が突風や雨風により、千人以上の犠牲者が出たと言われている。犠牲者の霊を慰めるために慰霊塔が建てられている。
ここでは、深夜に亡くなった人の人魂の目撃が有るようだ。
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旭川ダム
釣りスポットとしても知られているが、心霊スポットとしても知られている。ダム建設には30人もの殉職者を出し、慰霊碑も立てられている。
有名な話だと、家族4人が乗った乗用車がダムに転落し一家全員が死亡した。それ以降、誰も居ないのに男性の声で「おい!おい!」と呼ばれたり、車のドアを「コンコン!」と叩いてくる心霊現象が起きているのだという。 詳細を見る
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若人の広場
1967年(昭和42)に第二次世界大戦で学徒動員され、戦没した若者を追悼することを目的として開設された。「慰霊塔・永遠の灯」を中心に、戦没学徒の遺品などを展示していた資料館「戦没学徒記念館」などがある。
その為、ここでは兵隊の霊の目撃が多いのだという。兵隊の霊に追いかけられたという人や、いきなり気を失ったという人も居る様という噂があり、霊感のある人が行くと気分が悪くなるという話もある。
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秋葉ダム
心霊スポットという噂が一部で有る様だ。というのも、このダム建設時に、爆発事故により19名の命が失われており慰霊碑も立てられているのと、ダムの心霊スポットで噂されるようなトンネルと、すぐ下流にある赤い橋の存在からだろう。
しかし、具体的な心霊現象の噂は見つけられなかった。ダムだけに自殺する人も居るのかもしれないし、条件的に幽霊や心霊現象が有ってもおかしくは無いだろう。
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犬吠埼(男塾)
犬吠埼にあった通称「男塾」は「日本善行会青少年研修所(東京政経塾犬吠崎分校)」の跡地1967年(昭和42年)4月に開設し1980年(昭和55年)に閉鎖した。その後、施設は荒れ始め、肝試しに訪れる若者が増えたという。
そして、肝試しに訪れていた時にそれは起きた。205号室に入った途端に部屋に入った全員の携帯が一斉に鳴り響いたという。それ以降、心霊スポットとして噂されるようになり有名になった。
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おかりや様
昔そこは処刑場だったと言われており、死んでいった罪人を供養するための慰霊碑だとされる通称「御鎌屋様(おかりや様)」と言うのが建てられている。
この「おかりや様」に失礼な事や粗末に扱うと祟られると言われており、指をさした人が指を骨折した、蹴った人が足を骨折した、唾を吐きかけた人が口中口内炎になったなど怪我をする学生が多いという。
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イタンキ浜
1954年10月にイタンキ浜からほど近い製鉄所や港湾労働に従事していた中国人の遺骨が125名分見つかり、中には畳1畳ほどのスペースから9名の遺骨が発見された。
戦時中に室蘭で1800名の中国人が連行されており、560名以上が死亡している。こういった曰くから心霊スポットとしても噂がある様だ。
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大財公園
深夜に公園内で生首が浮遊しているのを見たという人や、車で公園の前を通過中に急にエンジンが止まるなどの噂があるようだ。
江戸時代初期頃は処刑場として利用されていた。そして、明治以降から昭和にかけて「佐賀市火葬場」として利用されていた。多くの命が失われた場所として「鎮魂碑」も設置してある。