第二次世界大戦末期1945年(昭和20年)の大阪大空襲で避難してきた多くの市民が炎にまかれ亡くなった。橋のたもとには「戦災殉難者慰霊碑」が有り、近くにはブロックが詰まれ閉鎖されたトンネルが有る。
このトンネルはその昔に橋を行き来する通路だったが空襲の時に逃げ込んだ人たちの多くなく亡くなっているそうだ。トンネルは「戦災殉難者慰霊碑」の建設と共に閉鎖されたが、毎晩のようにトンネルから誰かが話している声や呻き声がが聞こえてくるようになったという。
大阪大空襲
1945年(昭和20年)3月13日深夜から翌日未明(日本時間、以下同様)にかけて最初の大阪空襲が行われ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行われた。これらの空襲で10,000人以上の一般市民が死亡したと言われている。
橋のたもとには「戦災殉難者慰霊碑」が建てられ毎年3月14日に町住者らが慰霊祭を執り行っている。
参考:Wikipedia – 大阪空襲
大輪田橋の基本情報
1924年(大正13年)竣工
新川運河の中央を跨ぐコンクリート造の3連アーチ橋
第二次世界大戦
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。
民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万(捕虜としての死者数も含む)。
第二次世界大戦の局面
1945年(昭和20年)8月 〜 9月「日本の降伏と終戦」8月6日・9日に広島・長崎へ原子爆弾が投下され、8月8日にソ連が対日参戦しました。日本は8月15日にポツダム宣言を受諾(終戦)、9月2日に戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印し、第二次世界大戦が完全に終結しました。
1945年(昭和20年)5月「ドイツの降伏」 ベルリンが陥落し、ヒトラーの自殺を経て、ドイツは連合国に無条件降伏しました。
1944年(昭和19年)6月6日「ノルマンディー上陸作戦」 米・英・加などの連合軍がフランス北部に大規模上陸し、ドイツは東西から挟撃される形となりました。
1943年(昭和18年)9月「イタリアの降伏」連合軍のイタリア本土上陸を受け、ムッソリーニ政権が崩壊してイタリアが降伏しました。
1942年(昭和17年) 〜 1943年(昭和18年)2月「スターリングラードの戦い」独ソ戦において、ソ連軍がドイツ軍に歴史的な勝利を収め、ヨーロッパ戦線でもドイツが劣勢に転じました。
1942年(昭和17年) 〜 1943年(昭和18年)2月「ガダルカナル島の戦い」連合軍が反撃に転じ、日本軍は補給難から撤退を余儀なくされ、守勢に回りました。
1942年(昭和17年)6月「ミッドウェー海戦」太平洋戦線において、アメリカ軍が日本の機動部隊(空母4隻)を撃破し、太平洋の主導権を握りました。
1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)~1945年(昭和20年)9月2日終戦「太平洋戦争(アジア・太平洋戦線)」「大東亜戦争」日本がハワイ・真珠湾を攻撃して米英に宣戦布告し、が開戦しました。
1941年(昭和16年)6月、ドイツが不可侵条約を破ってソ連へ侵攻を開始し、独ソ戦が勃発しました。
1940年(昭和15年)9月「日独伊三国同盟」 ドイツ、イタリア、日本の3国で軍事同盟が結ばれ、枢軸国陣営が形成されました。
1940年(昭和15年)「ヨーロッパでの躍進」 ドイツは電撃戦でデンマーク、オランダ、ベルギーを制圧し、6月には強国であったフランスを降伏させました。
1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)ドイツがポーランドに侵攻し、これに反発したイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して戦争が始まりました。
兵庫県神戸市兵庫区2丁目
