大輪田橋

第二次世界大戦末期1945年(昭和20年)の大阪大空襲で避難してきた多くの市民が炎にまかれ亡くなった。橋のたもとには「戦災殉難者慰霊碑」が有り、近くにはブロックが詰まれ閉鎖されたトンネルが有る。

このトンネルはその昔に橋を行き来する通路だったが空襲の時に逃げ込んだ人たちの多くなく亡くなっているそうだ。トンネルは「戦災殉難者慰霊碑」の建設と共に閉鎖されたが、毎晩のようにトンネルから誰かが話している声や呻き声がが聞こえてくるようになったという。

大阪大空襲

1945年(昭和20年)3月13日深夜から翌日未明(日本時間、以下同様)にかけて最初の大阪空襲が行われ、その後、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日に空襲が行われた。これらの空襲で10,000人以上の一般市民が死亡したと言われている。

橋のたもとには「戦災殉難者慰霊碑」が建てられ毎年3月14日に町住者らが慰霊祭を執り行っている。
参考:Wikipedia – 大阪空襲

大輪田橋の基本情報

1924年(大正13年)竣工
新川運河の中央を跨ぐコンクリート造の3連アーチ橋

兵庫県神戸市兵庫区2丁目

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