戦没者の心霊スポット38 件掲載

軍人や軍属の者が戦争や戦闘により戦死した人の事を言うが、主に第2次世界大戦での戦争で亡くなった人を指すことが多い。

この世に未練を残して死んでいった者も多く、そんな霊が現れるのだろう。

  • 軍医学校跡地【国立感染症研究所】

    この敷地内で、1989年(平成元年)7月22日100体以上に上る大量の人骨が発掘され、今なお更に多くが埋もれているとされている。

    国立感染症研究所内でも、様々な心霊現象が目撃されているという。

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  • 大輪田橋

    第二次世界大戦末期1945年(昭和20年)の大阪大空襲で避難してきた多くの市民が炎にまかれ亡くなった。橋のたもとには「戦災殉難者慰霊碑」が有り、近くにはブロックが詰まれ閉鎖されたトンネルが有る。

    このトンネルはその昔に橋を行き来する通路だったが空襲の時に逃げ込んだ人たちの多くなく亡くなっているそうだ。トンネルは「戦災殉難者慰霊碑」の建設と共に閉鎖されたが、毎晩のようにトンネルから誰かが話している声や呻き声がが聞こえてくるようになったという。

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  • 観音崎3分間トンネル

    女性の霊が出るという噂や、トンネルの途中に鉄格子の牢屋の様なところが複数有り、そこで何かに憑りつかれたような行動をしてしまう、身元不明の戦没者の骨が埋まっていて戦没者の霊が出るという噂が有るようだ。

    トンネル内で不気味な声が聞こえたという話や、心霊写真が撮れたという噂も有るようだ。戦争で亡くなった人も多く、戦没者の霊が彷徨っているという噂や、こういった場所だけに霊が集まって来るのではないかと言われている。
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  • 掩体壕大沢1号、2号(武蔵野の森公園)

    掩体壕大沢1号、2号は「武蔵野の森公園」にある、戦争の時に航空機守るため格納する設備の掩体壕。戦争にまつわる場所だけに戦死したと思われる軍服を着た兵隊の霊が出ると言われている。

    公園の一角にあり怖いイメージは無いのだが、夜になるとやはり不気味で何者かの気配を感じたりもする事も有るのだという。

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  • 富士森公園

    第二次世界大戦には沢山の防空壕があったとされている。戦後、この防空壕では幽霊が出るという噂があったが、整備される事になり防空壕が埋め立てられる事になった。

    しかし、関係者が謎の病になったり事故にあったり、または行方不明になりと不可解な事が続いた為に埋め立ての工事が中止になったという曰くが残されている。

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  • 言問橋

    1945年(昭和20年)の東京大空襲の時に逃げ惑う人々が両側から人が殺到し、橋の上でぶつかり身動きが取れなくなっていたところに大量の焼夷弾が襲った。これにより隅田川には死体が溢れかえったと言われている。

    心霊現象などの噂は少ないが、霊感のある人がここを訪れると、多くの死体が見えるという事が有るようだ。
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  • 中河原海岸

    この海岸では第2次大戦中に爆撃され250名もの人間が戦死し、遺体を火葬しようとしたが、間に合わずそのまま埋めたと言われている。

    それ以降、幼稚園児数十名が、海に引き込まれるようにして亡くなる。幼稚園児を助けようとした教諭は、もんぺを穿き防災頭巾をかぶった女たちが園児たちの足をつかんでいたと証言している。

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  • 平和台公園

    第二次世界大戦で亡くなった戦没者慰霊のために作られた。しかし、それでも成仏する事ができない霊たちが彷徨っていると言われている。

    「平和の塔」では女性の霊が現れる、「はにわ園」では夜になるとはにわの首が動く、目が光っているなどの噂がある。園内にある「新池」では入水自殺した女性の霊が出ると言われている。

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  • 沖縄陸軍病院南風原壕群20号(旧陸軍病院壕跡)

    沖縄戦にて多くの負傷兵は運び込まれた「沖縄陸軍病院南風原壕群20号(旧陸軍病院壕跡)」では、ここを訪れると気分が悪くなったり、目撃情報は少ないものの、を見たという人が居るようだ。

    南部へ撤退する際に、連れて行けない重傷者は捕虜となる事を決して許さなかった陸軍の厳しい軍律が有ったため、重傷者2000人程度に自決用に青酸カリを残し撤退したと言われている。
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  • 若木山防空壕

    1945年(昭和20年)8月9日、長崎に原爆が投下された日に山形も空襲で飛行場が襲撃された際に負傷者が運ばれ50名以上も亡くなったとも言われている防空壕で、周辺では亡くなった兵士の霊の目撃が有るという。

    空襲の時は100人以上もの兵士や周辺住民が逃げ込み寿司詰め状態だったという。周辺は「若木山公園」として整備されている。
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  • 旧海軍司令部壕(海軍壕公園)

    手榴弾で自決をした生々しい跡や、海軍司令部壕に立てこもり、全滅するまでアメリカ軍と戦い抜いた歴史があり心霊スポットとしても知られている。

    兵隊と思われる幽霊の目撃する人や、気分が悪くなる霊障が有るみたいだ。その他にも、体をスーッと冷たい風がすり抜けていったという体験をした人も居るようだ。 詳細を見る

  • 浦添大公園

    沖縄南部の那覇市の隣に位置する浦添市にあるこの公園では太平洋戦争で多くの人が亡くなった激戦地となっていた。

    そんな事から歩く兵隊の霊の目撃や、子連れの女性の霊半透明の羽衣の様なものを纏った幽霊などの目撃が有るのだという。

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  • 原爆ドーム

    二度とこのような事が起きらないようにと戒めや願いを込めてえ残されている「原爆ドーム」だが、多くの犠牲者が出ておりやはり心霊スポットとしても知られている。

    心霊写真が撮れたり、原爆ドームの上を数えきれない人の霊が歩いていたなどもあるが、多いのは霊障により体調を崩す人が多いという。

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  • 広島大学旧理学部1号館

    第二次世界大戦の末期1945年に広島に原爆が投下された時に、ここは爆心地から1,420mの場所にあった本館は1Fの3部屋を除いて全焼し、教員、学生共に134人が犠牲となった

    兵隊が進行する足音が聞こえてくる絶対に通ってはいけない廊下が有る、校内に犠牲になった人達の霊が彷徨っているという噂がある。また、人体実験をしていたという噂も有るようだ。

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  • 黒鳥山公園

    戦没者を弔う為に大きな忠霊塔が建てられており、写真を撮るとオーブが写る事があるという。忠霊塔の付近と池のあたりでの霊の目撃が多いと言われている。

    忠霊塔の前で花火をすると内側から扉を叩くような音が聞こえてくるとの噂もあるようだ。一部では公園で自殺する人も多いとの噂も有るようだ。
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  • 若人の広場

    1967年(昭和42)に第二次世界大戦で学徒動員され、戦没した若者を追悼することを目的として開設された。「慰霊塔・永遠の灯」を中心に、戦没学徒の遺品などを展示していた資料館「戦没学徒記念館」などがある。

    その為、ここでは兵隊の霊の目撃が多いのだという。兵隊の霊に追いかけられたという人や、いきなり気を失ったという人も居る様という噂があり、霊感のある人が行くと気分が悪くなるという話もある。
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  • 知覧特攻平和会館

    第二次世界大戦の沖縄戦で爆装した飛行機もろとも敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示している施設。

    いまだにこの世に未練を残した特攻隊員の霊がちらほらと現れるという。ここに現れる霊は怖い印象は無く、にっこり微笑んだりしている霊が出ると言われている。

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  • 緑山公園

    以前は、松江陸軍墓地として1931年(昭和6年)の満州事変以降の戦没者が葬られていた場所で、慰霊碑も建てられている。

    ここに出る霊は戦没者ではなく、公園内の公衆トイレで首吊り自殺した者居るという噂があり、そのトイレで人魂を目撃した者が居るのだという。親子で行くと子供が何者かに憑依されたという噂も有る。

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  • 鳥取陸軍墓地

    戦没者の霊が出ると言われており、現れる時は一人だったり複数人だったりで、軍人が数人で行進している音が聞こえてくるという事も有るそうだ。特に墓地に上がる坂での心霊現象が多いと言われている。

    戦没者を供養するために「戦没者慰霊碑」も建てられているが、この世に未練を残した戦没者も多かったのだろう。
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  • 日和田隧道(旧日和田トンネル)

    地元ではお化けトンネルとして知られているらしいが、このトンネルでどのような心霊現象が起きるのか詳しい情報を見つけることは出来なかった。

    1977年(昭和52年)に「新日和田トンネル」が出来たことにより閉鎖され入る事は出来ない。

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