第二次世界大戦が終結した激動の1945年(昭和20年)まで使われていた壕で、多くの負傷した兵が運ばれ多くの人が亡くなった。
ここで亡くなった兵士の霊がいまだに居ると言われ、壕に入ると「軍医さん・・・」「看護婦さん・・・」と呟くような声が聞こえてくると言われている。
「旧陸軍第24師団第2野戦病院壕」は「豊見城城址公園」の中にあり、豪は崩落が著しく危険な状態になっているそうだ。
旧陸軍第24師団第2野戦病院壕の基本情報
第24師団(山部隊)第2野戦病院として1945年(昭和20年)5月26日まで使われた壕。建設には住民も動員され、総延長はおよそ300メートル。
軍医、衛生兵、看護婦など194人、積徳高女学徒隊の25人 (ふじ学徒隊)が加わり、患者は約600名が収容されていた。
第二次世界大戦
1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。
沖縄県豊見城市豊見城
