第二次世界大戦の心霊スポット50 件掲載

1939年(昭和14年)9月1日から1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。

  • 弓張岳展望台

    戦時中の1941年、この一帯(隣接する田島岳など)には佐世保鎮守府を防衛するための高射砲陣地が置かれていました。現在も駐車場の北側などに円形の砲台跡が残っていることから、夜間に軍服や軍帽をかぶった男性の霊を見た、展望台の周囲に数十人の軍人がずらりと並んで佇んでいたといった証言が複数存在します。

    夜景を眺めている際、展望台の下にある崖のほうから「ズズッ」と重く湿ったような、何かが這い上がってくるような音や荒い息づかいを聞いた人も居るようです。

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  • 不老洞(須佐トンネル)

    第二次世界大戦の終わり頃の1945年(昭和20年)6月28日に起きた佐世保大空襲で大勢の人がこのトンネルに逃げ込んだが爆風などで亡くなった人も居ましたが煙に巻かれて大勢が亡くなり、一時的に多くの遺体が折り重なるように山積みに安置される場所となりました。戦後、当時の記憶を語る生存者の証言でも、空襲翌朝のトンネル内に多くの遺体が重なるように横たわっていた光景が語られています。

    戦争の悲劇を背景に、旧日本軍の軍服を着た幽霊がトンネルの入り口に立っている、背後に人の気配を感じる、突然意思を持っているような煙のようなものに包まれる、当時の服装をした半透明の人影が現れた、などの話しがあります。

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  • 嘆きの森

    明治時代のコレラの流行により多くの遺体が埋葬された場所でもありますが、この場所で噂されているのが第二次世界大戦の大東亜戦争末期1945年(昭和20年)7月4日の高知大空襲で悲惨な死に方をした人の霊が未だに成仏出来ずに苦しみながら彷徨っていると言われています。

    夜になると森の奥から全身火傷を負って苦しそうな呻き声のようなものが聞こえてくる(場合によっては何人もの声が聞こえて来る)、全身が焼け爛れたような姿の人影が現れる、風が木々の間を通る音が泣いているような声に聞こえる。

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  • 旧広島陸軍 被服支廠

    1945年(昭和20年)第二次世界大戦末期に投下された原子爆弾の避難してきた多くの被爆者がここで息を引き取った。

    被爆者の幽霊が居ると言われ、被爆者の霊が居る気配を感じたり、呻き声や悲痛な悲鳴が聞こえてきたり、被爆者の体が焼け爛れた幽霊を見た人も居るそうだ。

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  • 香櫨園浜(御前浜公園)

    香こう櫨ろう園えん浜はまは第二次世界大戦中に海水浴場でにぎわったが、大阪大空襲で死亡した水死体が海流の関係で多数漂着した場所となっている。

    そんな、死んでいった戦没者の霊が写真に写りこむと言われている。
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  • ガダルカナル島・ビルマ方面 戦没者慰霊碑

    慰霊碑周辺で亡くなった兵士と思われる軍服を着た兵隊の霊が目撃されたという話しが有るようです。夜中に肝試しで訪れた際に、写真を撮ったら画面いっぱいに攻撃的な赤いオーブが写り込み、恐怖を感じて逃げ出したという話も有ります。

    オーブは後からフラッシュの雨反射の可能性を考える人もいますが、当時は相当怖かったそうです。

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  • 鎌北湖 山水荘

    夜になると駐車場に男性の霊が出るという噂がある。ここでは作業服姿の男の霊をはじめとし様々な目撃者が居るのだという。

    オーナは元毛呂山町長が病気を苦に首吊り自殺した。ここの駐車場内で、車の中で集団練炭自殺や車にガソリンまき焼身自殺など自殺の名所にもなっている。

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  • 弁天池の牛女

    この池の祠を午前2時に時計と逆回りに3回回ると帰り道に「カツン、カツン、カツン・・・」と牛の蹄の音が聞こえてきて振り返ると頭は女、体は牛の件(くだん)と思われる妖怪が追っかけてくるそうです。

    屠畜場には以前から座敷牢があり、中には牛頭の娘が閉じ込められていると伝えられていてた事から焼け跡から牛女が現れたという。その事件は地元の新聞に掲載され、牛女の存在が知られるようになったと言われている。

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  • 平将門の首塚(将門塚)

    日本三大怨霊のひとつとして知られる、平将門。将門の呪いを題材した映画「帝都物語」の撮影中にも、機材の落下、火災等、様々な事故が起こったという。周りのビルが見下げるようにすると会社が傾き倒産すると言われている。

    また、首塚にある石碑に触ると呪われるといった話や、落ち武者の幽霊が出没すると噂されている。
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  • 若人の広場

    1967年(昭和42)に第二次世界大戦で学徒動員され、戦没した若者を追悼することを目的として開設された。「慰霊塔・永遠の灯」を中心に、戦没学徒の遺品などを展示していた資料館「戦没学徒記念館」などがある。

    その為、ここでは兵隊の霊の目撃が多いのだという。兵隊の霊に追いかけられたという人や、いきなり気を失ったという人も居る様という噂があり、霊感のある人が行くと気分が悪くなるという話もある。
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  • 寺家ふるさと村

    寺家ふるさと村にある5つのため池(むじな池、大池、 熊野池、新池、居谷戸池)の「むじな池」と「大池」で心霊現象が起きていると言われています。

    大池周辺を歩いていると白い着物を着た女性が現われたり、正体不明の白い影が横切る、後ろから付いてくるという噂や、後ろから足音が聞こえて来るが振り返っても誰も居ない。その後も足音が後からついてくるという体験をした人が居るようです。

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  • 柏木不動尊

    夜な夜な白い服を着た少女の霊が現れるという噂や、霊感の強い人には背後から視線を感じる
    、近づくと寒気や体が重くなるような感覚に襲われる、不安感に襲われると言われています。

    霊感がある人は雨の降る夜には何かを察し通るのを避ける人も居るそうです。昔、TVの心霊番組で「柏木不動尊」が取り上げられたこともあったそうです。

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  • 柏の葉第2水辺公園

    昔、首都東京防空のために建設された柏飛行場(別名、東部第105部隊)がありました。昔の軍隊では厳しい訓練に耐えられず自ら命を絶つ者も少なくなく兵士の亡霊が目撃されているといいます。

    そしてそのせいかこの柏の葉第2水辺公園にある第二調整池では、入水自殺とみられる溺死体が多く上がったそうです。

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  • 旧陸軍第24師団第2野戦病院壕

    第二次世界大戦が終結した激動の1945年(昭和20年)まで使われていた壕で、多くの負傷した兵が運ばれ多くの人が亡くなった。

    ここで亡くなった兵士の霊がいまだに居ると言われ、壕に入ると「軍医さん・・・」「看護婦さん・・・」と呟くような声が聞こえてくると言われている。

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  • 知徳観音と八王子30号トンネル

    八王子30号トンネルでは、1945年(昭和20年)8月に起きた「湯の花トンネル列車銃撃事件」の犠牲者とみられる軍服姿でうつろな目をした幽霊を見た人や、1945年(昭和20年)8月にトラックの暴走で亡くなった小学生の幽霊が入り口付近に出ると言われている。

    この二つの「湯の花トンネル列車銃撃事件」の犠牲者とトラック事故で亡くなった小学生の女の子の幽霊が一緒に現れるという話が多いようだ。

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  • 相模原市慰霊塔

    付近では女性の霊や少年少女の幽霊が現れる、幽霊が写る心霊写真も良く撮れると言われている。また、どこからか異臭がしてきたという人も居るそうだ。

    近くに在ったトイザらスの警備員の話では、夜になると店舗内で心霊現象が多発していたそうで、その心霊現象が原因で店舗移転したという噂されていたそうだ。(現在は住宅展示場)

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  • 秋保通高架下の地下道(大年寺地下道)

    国道286号線「秋保通」の下を通る地下道では第二次世界大戦で亡くなったと思われる防空頭巾をかぶった親子や子供の幽霊が出ると言われている。この付近では成仏できない魂が集まっているという話も有る。

    地下道の入り口に在る「ちびっこ公園」でも過去に自殺があったと言われ、ここでもうつろな目をした男性の幽霊が出るという。

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  • 首里城

    夜になると首里城の中では誰も居ないのに足音や声が聞こえてきたり、幽霊の姿が黒いモヤのように現れたりと怪奇現象が多発しているそうだ。

    首里城は1945年(昭和20年)の沖縄戦の激戦区であり、それ以前も歴史的な事件が何度も起こっている場所なので、多数の怨念が渦巻いているとも囁かれている。

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  • 丸子山公園

    昔この辺りで自殺する人が何人も居たという。多数の自殺者が原因かははっきりと分からないが、夜になると公園内に人影のようなものがう蠢いているのが現れるそうだ。

    また公園内には日清戦争、日露戦争そして第二次世界大戦の戦没者755柱を祀る忠霊塔がある。

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  • 大輪田橋

    第二次世界大戦末期1945年(昭和20年)の大阪大空襲で避難してきた多くの市民が炎にまかれ亡くなった。橋のたもとには「戦災殉難者慰霊碑」が有り、近くにはブロックが詰まれ閉鎖されたトンネルが有る。

    このトンネルはその昔に橋を行き来する通路だったが空襲の時に逃げ込んだ人たちの多くなく亡くなっているそうだ。トンネルは「戦災殉難者慰霊碑」の建設と共に閉鎖されたが、毎晩のようにトンネルから誰かが話している声や呻き声がが聞こえてくるようになったという。

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