串良平和公園

第二次世界大戦の末期1945年(昭和20年)3月1日から特別攻撃隊の基地となり、8月15日の終戦までの約半年間に串良航空隊565名が特攻隊員として飛び立ち殆どの者は帰還する事は無く戦死したという。

夜間に血塗れの旧日本兵の霊が行進しているという話しや、戦没者慰霊塔の周辺で心霊現象が起きると噂されている。

串良平和公園の基本情報

桜並木が花一色となる春には「桜まつり」が開催され、たくさんの人出で賑わう桜の名所になっている。

第二次世界大戦

1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。

鹿児島県鹿屋市串良町有里5183−1

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