柏の葉第2水辺公園

昔、首都東京防空のために建設された柏飛行場(別名、東部第105部隊)がありました。昔の軍隊では厳しい訓練に耐えられず自ら命を絶つ者も少なくなく兵士の亡霊が目撃されているといいます。

そしてそのせいかこの柏の葉第2水辺公園にある第二調整池では、入水自殺とみられる溺死体が多く上がったそうです。

また、深夜にここに訪れると誰も居ないのに背後から微かに足音が聞こえてきたり、女性と思われる話し声が聞こえて来た人も居るそうだ。

柏の葉第2水辺公園の基本情報

大きな池と葦原(アシなどの草むら)があり、カモ、オオバン、サギなどの水鳥や野鳥が多く飛来します。バードウォッチングに最適です。

池の周囲には木道(ボードウォーク)や遊歩道が整備されており、水辺の植物を間近に見ながら静かに過ごしたい人やウォーキングをする人に人気があります。

柏飛行場

1938年(昭和13年)11月に柏陸軍飛行場(東部第105部隊)として開設

1939年(昭和14年)9月1日、第二次世界大戦勃発

1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)第二次世界大戦終結

1950年(昭和25年)朝鮮戦争が始まると、米軍に接収されました。

1955年(昭和30年)米空軍の「柏通信所(通称:トムリンソン通信所)」となり、高いアンテナが立ち並ぶ通信基地へと姿を変えました。

1979年(昭和54年)日本へ全面返還されました。

1985年(昭和60年)都市計画決定が行われ、事業が開始されました。

1990年(平成2年)「柏の葉公園(総合競技場など)」が開園し、その一部として水辺(調整池)が整備されました。「柏の葉」の地名は、冬を越えても葉が落ちずに残る柏の木の縁起の良さに由来し、この一帯の街づくりにもその意味が込められています。

第二次世界大戦

連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。

民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万(捕虜としての死者数も含む)。

第二次世界大戦の局面

1945年(昭和20年)8月 〜 9月「日本の降伏と終戦」8月6日・9日に広島・長崎へ原子爆弾が投下され、8月8日にソ連が対日参戦しました。日本は8月15日にポツダム宣言を受諾(終戦)、9月2日に戦艦ミズーリ号上で降伏文書に調印し、第二次世界大戦が完全に終結しました。

1945年(昭和20年)5月「ドイツの降伏」 ベルリンが陥落し、ヒトラーの自殺を経て、ドイツは連合国に無条件降伏しました。

1944年(昭和19年)6月6日「ノルマンディー上陸作戦」 米・英・加などの連合軍がフランス北部に大規模上陸し、ドイツは東西から挟撃される形となりました。

1943年(昭和18年)9月「イタリアの降伏」連合軍のイタリア本土上陸を受け、ムッソリーニ政権が崩壊してイタリアが降伏しました。

1942年(昭和17年) 〜 1943年(昭和18年)2月「スターリングラードの戦い」独ソ戦において、ソ連軍がドイツ軍に歴史的な勝利を収め、ヨーロッパ戦線でもドイツが劣勢に転じました。

1942年(昭和17年) 〜 1943年(昭和18年)2月「ガダルカナル島の戦い」連合軍が反撃に転じ、日本軍は補給難から撤退を余儀なくされ、守勢に回りました。

1942年(昭和17年)6月「ミッドウェー海戦」太平洋戦線において、アメリカ軍が日本の機動部隊(空母4隻)を撃破し、太平洋の主導権を握りました。

1941年(昭和16年)12月7日(日本時間12月8日)~1945年(昭和20年)9月2日終戦「太平洋戦争(アジア・太平洋戦線)」「大東亜戦争」日本がハワイ・真珠湾を攻撃して米英に宣戦布告し、が開戦しました。

1941年(昭和16年)6月、ドイツが不可侵条約を破ってソ連へ侵攻を開始し、独ソ戦が勃発しました。

1940年(昭和15年)9月「日独伊三国同盟」 ドイツ、イタリア、日本の3国で軍事同盟が結ばれ、枢軸国陣営が形成されました。

1940年(昭和15年)「ヨーロッパでの躍進」 ドイツは電撃戦でデンマーク、オランダ、ベルギーを制圧し、6月には強国であったフランスを降伏させました。

1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)ドイツがポーランドに侵攻し、これに反発したイギリスとフランスがドイツに宣戦布告して戦争が始まりました。

 

千葉県柏市柏の葉4丁目

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