この溜池で亡くなっている人が多いと言われ、溜池付近の林では毎年のように首吊り自殺する者がおり、自殺者の霊が彷徨っていると言われている。
誰も居ない方から人の声が聞こえてくる、こちら睨む男性の霊が現れる、オーブが撮れるなどと言われている。
廻堰大溜池(津軽富士見湖)の基本情報
「廻堰大溜池」が正式名で「津軽富士見湖」が愛称名です。
創建: 1660年(万治3年)頃、江戸時代の津軽藩4代藩主・津軽信政の命により、新田開発に必要な水を確保するために築堤されました。
重要性: 以来、津軽西北地域一円の広大な水田を潤す「命の水がめ」として、重要な役割を果たし続けています。その歴史的価値と機能性から、2010年(平成22年)3月25日、農林水産省の「ため池百選」に選定されています。
鶴の舞橋
この池に在る「鶴の舞橋」は 全長300メートルで、日本一長い木造の三連太鼓橋で樹齢150年以上の青森ヒバを総材として使用した、ぜいたくな造りとなっています。
鶴が空に舞う姿をモチーフにして設計され、橋のアーチ状の連なりが、鶴が羽を広げたような優雅な曲線を描き出しています。
「日本一長い木の橋」であることから、「長生きの橋」とも言われ、開運や長寿のパワースポットとしても人気を集めています。
津軽富士見湖の伝説
白上姫と清水城主の悲恋物語
今から60年程前のことといわれています。もともとこのあたりは深い沢で、山間一帯に湖があり「白上湖」とよばれていました。そのとき白上山に白上姫という女神がいて、その湖の水を治めていたと伝えられています。
白上姫は、村人たちに水が出ないよう、よくよく守ってくれていました。この姫は、大変心のやさしい、美しい女神であったといいます。
白上湖のまわりの村里には、清水城主という若君がいて、村里一帯を治めていました。この若君はたいへん文武にすぐれ、気だても良く、領内の村人たちからも慕われていました。若君はよく白上湖にあるという白上姫のうわさを聞いていました。
ある日、若君は白上湖に遊びに出かけ、白上姫に出会いました。二人はたちまち心をかよわせる仲となりました。その後、若君はしばしば湖へ通うようになり、二人の仲は深まっていきました。
ところが、このことを良く思わない者がおり、湖の水を抜いて姫を湖底に沈めてしまおうとたくらみました。ある晩、ついに悪人たちは白上湖の水を抜いてしまいました。
一夜あけて、白上湖の水はすっかりなくなり、湖底は黒々とした泥と石だけになりました。そのとき姫は白い烏となって空へと飛び去っていったといいます。
翌年の春、白上山のふもとに一つの池ができていました。それが現在の津軽富士見湖だと伝えられています。
若君は深く悲しみ、姫を偲んでこの池のそばに一人の娘を祀ったと伝えられています。これが現在のサイカチ大明神であるといわれています。
その後、津軽の大地には“白い鳥が泣くと雨が降る”という言い伝えが残りました。
もし夕方に白い烏が「ピー、ピー、ピー」と鳴く声を聞いたら、それは白上姫の鳴き声かもしれません。
青森県北津軽郡鶴田町廻堰大沢81−150
