1967年(昭和42)に第二次世界大戦で学徒動員され、戦没した若者を追悼することを目的として開設された。「慰霊塔・永遠の灯」を中心に、戦没学徒の遺品などを展示していた資料館「戦没学徒記念館」などがある。
その為、ここでは兵隊の霊の目撃が多いのだという。兵隊の霊に追いかけられたという人や、いきなり気を失ったという人も居る様という噂があり、霊感のある人が行くと気分が悪くなるという話もある。
1994年に観客数の減少で閉館され、さらに1995年に起きた阪神・淡路大震災により被害を受け放置されていた。
2005年8月には慰霊碑の「永遠の灯」が修復され点灯されたが、施設は立ち入り禁止になっており一部の廃墟関連の書籍やサイトに掲載されていた。
その後、南あわじ市が土地を購入し都市公園「若人の広場公園」として2015年(平成27年)に順次再整備され、3月に再開園した。
第二次世界大戦
1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。
阪神・淡路大震災
1995年(平成7年)1月17日(火曜日)5時46分
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであった。
兵庫県南あわじ市阿万塩屋町2658−7 若人の広場公園
