旧・広島陸軍被服支廠

1945年(昭和20年)第二次世界大戦末期に投下された原子爆弾の避難してきた多くの被爆者がここで息を引き取った。

被爆者の幽霊が居ると言われ、被爆者の霊が居る気配を感じたり呻き声や悲痛な悲鳴が聞こえてきたり被爆者の体が焼け爛れた幽霊を見た人も居るそうだ。

広島陸軍被服支廠の基本情報

1914年(大正3年)に竣工し、陸軍兵士の軍服・軍靴等の製造・貯蔵を担う施設でした。

1945年(昭和20年)8月6日第二次世界大戦末期に投下された原子爆弾(リトルボーイ)により広島市は壊滅状態に陥ったが、爆心地から約2.7km離れていた被服支廠は外壁の厚みが60cmと厚かったこともあって焼失や倒壊は免れ、臨時救護所として使用された。

1994年(平成6年)広島市が被爆建物として登録。

2024年(令和6年)1月19日に、重要文化財に指定された。存する4棟のうち3棟を県が、1棟を国(中国財務局所管)が所有している。

現在は「出汐倉庫」の名で通り、基本的に立入禁止であり、見学の際には事前に広島県財産管理課に連絡する必要がある

第二次世界大戦

1939年(昭和14年)9月1日~1945年(昭和20年)8月15日(または9月2日)
連合国・枢軸国および中立国の軍人・民間人の被害者数の総計は5000万〜8000万人とされる。8500万人とする統計もある。当時の世界の人口の2.5%以上が被害者となった。民間人の被害者数:3800万〜5500万(飢饉病気によるものは1300万〜2000万)。軍人の被害者数:2200万〜2500万。捕虜としての死者数も含む。

広島県広島市南区出汐2丁目4−60

参考

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