野呂山

深夜に車で野呂山の「さざなみスカイライン」を走行していると中腹あたりでバックミラーにバイクのヘッドライトが見え、近づいてくる。

そして、ライダーが追い越し際に左手を挙げ丁寧に挨拶してくるのだが、よく見るとライダーの首が無いそうです。この首無しライダーは追い越す前に2回パッシングするという話もあります。

「野呂山スカイライン」は急カーブや霧が発生しやすい難所が多く、かつてはローリング族(峠道を暴走する車やバイク)が集まる場所でもありました。過去にスピードの出しすぎによる交通事故が複数発生していることから、事故で亡くなった方のライダーの幽霊ではないかと噂されています。

野呂山の山頂へと続くドライブコース(旧・野呂山スカイライン)や、かつて存在したサーキット「野呂山スピードパーク」の周辺道路でも、車やバイクにまつわる噂があります。

夜間にドライブしていると、バックミラーにあり得ないスピードで追いかけてくる人影が映りカーブの多い山道で、突然目の前に白い服を着た女性の霊が立ち塞がるという噂も有ります。

首無しライダー

峠などで噂される心霊現象で、夜中に峠道や見通しの悪い道路を走っていると、凄まじいスピードで追い抜いていくバイクがいる。ふと見ると、そのライダーにはヘルメットから上の頭部が無いという。

話の始まりはバイクで走行中になぜか道に張られたワイヤー(ピアノ線)に首が引っ掛かり斬首して死亡してしまう。または、スピードを出しすぎてカーブを曲がりきれず、道路脇のガードレール(あるいは標識の支柱など)に激突。その際、首が鋭利なエッジに首が引っかかって切断されてしまう。

その事故以降にその道を走行していると後ろからバイクが追いかけてきてよく見ると首の無いライダーが乗っているというもの。

さらに首無しライダーには様々なバリエーションが有ります。

  • 片手でハンドルを握り、もう片方の腕で自分の生首(またはヘルメット)を小脇に抱えて走っている
  • 追い抜かれた後に必死に追いかけようとしても、次のカーブやトンネルに入った瞬間にテールランプが消え姿も消滅する
  • 道路を猛スピードで走り回り、自分の首を探している
  • 道にワイヤー(ピアノ線)を張った犯人を探している。
  • 横に並ばれると事故に遭う。

首がない者が乗り物に乗って現れる」という怪談の構造は、日本独自のものではありません。ヨーロッパの伝承(アイルランドのデュラハンなど)や、アメリカの有名な怪談『スリーピー・ホロウの伝説』には、「首なし騎士(Headless Horseman)」が登場します。

かつては「馬」に乗っていた首なしの怪異が、昭和の日本に輸入され、当時の世相(バイクブームや暴走族の社会問題)と融合した結果、馬から「バイク」へと乗り換えてアップデートされたのが「首なしライダー」だという見方もされています。

野呂山の基本情報

広島県呉市にある野呂山は、瀬戸内海国立公園に指定されている標高839mの山です。

膳棚山(ぜんだなやま)と弘法寺山(こうぼうじやま)からなる東西に広がる大きな高原状の山で、古くからの信仰の対象であり、戦後の開拓や観光開発の歴史を経て、現在は「瀬戸内海の絶景、豊かな自然、そして静かな芸術を楽しめる高原リゾート」として愛されています。

野呂山の山頂付近には、瀬戸内海の素晴らしいパノラマを楽しめる展望台がいくつか点在しています。

鉢巻山展望台
山頂付近のロータリーから少し歩いたところにあり、1年を通じて素晴らしい景色が広がります。特に天気の良い日には、四国連峰までくっきりと見渡すことができます。

かぶと岩展望台
巨大な奇岩「かぶと岩」の近くにある展望台で、ここからの夕日や、夜に見下ろす呉市や瀬戸内海の夜景は息をのむ美しさです。

星降る展望台
その名の通り、夜には満天の星空が広がるスポットとして、天文ファンやドライブ帰りの人たちに人気です。

野呂山スピードパーク

1969年(昭和44年)10月19日にオープンした、日本で5番目(常設としては4番目)の本格的レーシングサーキットです。鈴鹿サーキットや富士スピードウェイに次ぐ歴史を持つ、日本のモータースポーツ黎明期を支えた伝説の場所でした。

最大の特徴は、「戦後開拓団」の人々自らが重機を動かし、コースを設計・造成したという点にあります。 太平洋戦争の終結後、満州などからの引揚者を中心とした開拓団が野呂山に入植しました。彼らは厳しい自然の中で原野を切り拓き、大根やみかんの栽培で生計を立てていましたが、さらなる地域の自立と新たな収入源の確保を目指し、当時ブームが始まっていた「観光リゾートの目玉」としてサーキット誘致・建設に踏み切ったのです。

1970年5月5日のオープニングレース「全日本ストックカー呉200kmレース」には、なんと5,000人以上の観客が詰めかけ、山の上は大熱狂に包まれました。アメリカ式のレースに倣って「左回り」で豪快に車が激突し合うレースなどが行われ、若者たちの憧れの聖地となります。

国立公園の豊かな自然の中に大爆音が響き渡るため、自然保護の観点から批判の声が高まりました。

1973年(昭和48年)オイルショックにより激甚な経済不況により、モータースポーツ界全体が冷え込み、経営難に陥ります。

1974年(昭和49年)オープンからわずか5年後にスピードパークは閉鎖されました。その後はモトクロスコースやオートキャンプ場として転用されましたが、現在はそれらも閉鎖され、緑に飲み込まれたコースの跡地が静かに眠っています。

広島県呉市安浦町大字中畑

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