戦没者の心霊スポット38 件掲載
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全国殉国学徒英霊慰霊塔
以前ここで、首吊り自殺があったと言われており自殺者の霊が出ると言われている。
1959年(昭和34年)に慰霊碑が建てられ、1967年(昭和42)には慰霊塔が建てられた。慰霊塔は、第2次世界大戦で国に殉じた学徒兵を弔うために建てられた塔で、展望台でもあり塔の一番上には丸玉オブジェがある。
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大房岬
戦争で亡くなった戦没者の霊や、防空頭巾を被った霊などが多く目撃されている。また、ここで自殺する人も多く居ると言われており自殺者の霊も目撃されているという。
特に深い洞窟の周辺で霊の目撃が多いと言われている。 詳細を見る
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嘉数高台公園
日本兵の霊が出るという噂のある高台で、階段を上っていると前方から黒い影が近づい来るので、よく見ると顔が真っ黒に汚れた軍人でスーッと消えてくという事が起きるらしい。
ここは沖縄でも一番の激戦地だったといわれている為か、日本兵や米兵の戦没者の霊が今でも彷徨っているのだという。
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糸数アブチラガマ
激しい戦闘の中、戦場から身を守るために使われたのがこの「糸数壕(通称:アブチラガマ)」で、この場所で治療を受ける事になった重症の負傷兵達は毒殺されたのだという。
米軍の攻撃にも遭ったようで、防空壕内にガソリンを流し込まれ焼かれたり、火炎放射で燃やし尽くされたりと残忍な攻撃を受けたと言われている。
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白梅之塔
塔の近くには自然にできた防空壕があり、その中では多くの人が米軍の火炎放射器で焼かれ苦しみながら亡くなっていったと言われている。
夜に訪れると、火炎放射器で焼かれ苦しむ悲痛の声が聞こえるのだという。
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ひめゆりの塔
ひめゆりの塔は戦争で亡くなった沖縄県立第一高等女学校の女子生徒及び職員総計240名の学徒隊として従軍していた「ひめゆり学徒隊」の魂を供養するために建てられた塔。
死から逃げられないと分かった住民は断崖絶壁に自ら身投げをした人も多かったという。
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ガラビ壕跡
東西に貫通し、西側を「ヌヌマチガマ」、東側を「ガラビガマ」という戦争にまつわる曰くの心霊スポット。
解散命令が出された当時、独歩患者や白梅学徒の人たちが壕から出た後、500名の動けない重傷兵達に対して「動けない者は自決しなさい」と言う意味で衛生兵の手で青酸カリが配られた。
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佐世保釜墓地(本佛寺 釜霊園)
若い女性や子供のうめき声が聞こえてきたり、白い人影が近づいてきたりする、車のエンジンがかからなくなるという現象が起きているのだという。
太平洋戦争後で亡くなった無縁仏が眠っているが、この無縁仏だけの心霊現象だけでは無さそうだ。
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似島
1945年の広島の原爆投下の灼熱の熱さから逃れる為に流れ着いたが多くの方が亡くなった場所であり、ラッパの音が聴こえてきたり、大勢の足音が聞こえるなど噂は多数ある。
また、未だに沢山の人骨も埋まっているらしく、工事などで時々掘り起こされるようだ。
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東京湾観音
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汀公園
第2次世界大戦末期にアメリカ軍の空襲で748人が亡くなった場所で、大きな「戦災殉難者供養塔」が設置されている。
現在は取り壊され無くなってしまったが、隣にあったビルの地下駐車場には「子供を抱いた女性の形をした染み」があったという。幽霊の目撃情報もあり、心霊写真も撮れると噂が有る様だ。
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ゼロ戦墓地
全国陸海空戦没者250万の英霊を祀る神殿。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のモニュメントが印象的。
この墓地の中でかくれんぼをしていた子供が、軍服姿の青年の幽霊に声をかけられたという話はわりと有名な話で、様々な噂が有る様だ。
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富岡総合公園
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世界無名戦士の墓
戦没者を供養するための場所だが幽霊の目撃情報が多く、心霊スポットとしても知られている。世界無名戦士の墓に向かう石階段の途中に慰霊碑と書かれた石碑があり前に立つとなにかしらの怪奇現象が起きると言われている。
夜中にこのあたりを歩いていると足音や奇声が聞こえてくるといった噂もある様だ。
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平和祈念公園
崖の絶壁からは日本軍兵士や多くの子供、女性、老人が飛び降りて自決をした場所でもあり、公園内には20万人あまりの戦没者の名前が刻まれている平和の礎がある。
爆撃を受けて焼け焦げ大量の血に染まった衣服なども展示されている。死への恐怖と生への未練を拭い去れない霊魂が現在もさまよっていると言われている。
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北区立神谷公園
「大東亜戦争」終戦直前だった昭和二十年八月十日、B29約百機による東京都北区赤羽地区の軍事施設空襲爆撃のあおりを受け、犠牲になった人々の遺体を一時的に収容し埋めた場所と言われている。
この付近では、奇妙な自殺や幼児の事故死など連続して死者が出ており、亡くなった人数は三十人を超すという。
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硫黄島
いまだに1万人以上の戦死者の遺体が眠る場所。上陸が出来ないものの間違いなく東京では最怖の心霊スポットと言われる事も有る。
1945年(昭和20年)2月から3月にかけて行われた硫黄島の戦いで、日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死した。
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鬼怒川砂丘慰霊塔
太平洋戦争の戦没者を供養する為に建てられた慰霊塔では、泣きながら供養塔に祈りを捧げる老婆の霊の目撃や、ぼろぼろの戦闘服らしきものを身につけた若い男性の幽霊、包帯を体中に巻いた幽霊、腕のない幽霊、など戦争にまつわる霊の目撃が多い。
この場所では時折、火の玉も多数目撃されており、集団で鬼怒川周辺を徘徊している幽霊も多数目撃されているという。
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