1945年(昭和20年)8月9日、長崎に原爆が投下された日に山形も空襲で飛行場が襲撃された際に負傷者が運ばれ50名以上も亡くなったとも言われている防空壕で、周辺では亡くなった兵士の霊の目撃が有るという。
空襲の時は100人以上もの兵士や周辺住民が逃げ込み寿司詰め状態だったという。周辺は「若木山公園」として整備されている。
若木山防空壕
1944年(昭和19年)より海軍航空隊により本格工事が始められたが未完成のまま終戦を迎えた。16カ所の防空壕があったが、現在は南側山麓の4カ所が現存しておりコンクリートで補強してある。
戦争遺跡として2010年(平成22年)3
山形県東根市神町東4丁目5