ゼロ戦墓地

全国陸海空戦没者250万の英霊を祀る神殿。零式艦上戦闘機(ゼロ戦)のモニュメントが印象的。

この墓地の中でかくれんぼをしていた子供が、軍服姿の青年の幽霊に声をかけられたという話はわりと有名な話で、様々な噂が有る様だ。

    • 深夜にここに肝試しに来た若者が資料館を覗いたところ、中に飾られている遺影の目がギョロっと若者をにらみつけたという。
    • 深夜にここを訪れた時、黒い霧のような人影に追いかけられた
    • 深夜にここを訪れた連中が突然墓石が鳴り出したので驚いて逃げ帰った。
    • 墓地のそばを流れるドブ川に幽霊が現れるという話など、様々な奇怪な話が囁かれている。

などと噂されている。

この通称ゼロ戦墓地と呼ばれてる場所には石碑が有りこう書かれている。

神風特別攻撃隊之魁/甲飛十期之碑 碑文

昭和初期、海軍航空戦力の急激な拡充を目指して、甲飛予科練制度が創設され、我々は昭和十七年(十九四二年)四月一日、土浦海軍航空隊に第十期甲種飛行予科練習生として入隊、秋霜烈日の猛訓練に耐え飛行練習生教程を終えて太平洋戦争決戦の大空へ巣立った。

昭和十九年十月フィリピン・レイテ湾に米航空母艦三十数隻を含む大機動部隊が殺到、迎え撃つ我が栗田を主力とする連合艦隊とのフィリピン沖海戦は、太平洋戦争中最も熾烈な一大海空戦であった。

時に第一航空艦隊司令長官大西滝治郎中将は、この国家存亡の瀬戸際こそ二百五十キロ爆弾を零戦に装着、一機一機肉弾体当り攻撃の他なしと決意し、十月十九日、第二〇一航空隊副長玉井中佐に特攻隊の編成を命じた。

命を受けた彼は、かつての教え子甲飛十期の零戦搭乗員より二十四名を選抜し、第一神風特別攻撃隊を編成した。

ああ、これが特別攻撃隊の魁になろうとは

敷島の大和心を人問わば 朝日に匂う山桜花(本居宣長)

この歌より隊名を敷島、大和、朝日、山桜の四隊とし、直後菊水隊が加えられた。

索敵数日、十月二十五日に至り各隊見敵に成功、祖国の安泰を祈り一矢報いる信念に燃え、全機突入多大の戦果を挙げた。

若干二十歳にも満たない若者がひたすら祖国最後の勝利を信じ、父母を思い故山を偲び、黙々とその任務を完遂して散華し、卒業時一千四名の80%が還らぬ人となった

その崇高で至純な行為と精神を後世に伝え、霊を慰め徳を顕彰する為にこの碑を建立する。

兵庫県宝塚市青葉台1丁目

 兵庫県宝塚市青葉台1丁目5−1 

地域 : 近畿 | 兵庫県
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著者: 管理人

1 thoughts on “ゼロ戦墓地

  1. GTOUTAIG

    慰めてもそうゆうのが現れるのはきもだめしにいくひとがいるからなのでは?

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