汀公園

第2次世界大戦末期にアメリカ軍の空襲で748人が亡くなった場所で、大きな「戦災殉難者供養塔」が設置されている。

現在は取り壊され無くなってしまったが、隣にあったビルの地下駐車場には「子供を抱いた女性の形をした染み」があったという。幽霊の目撃情報もあり、心霊写真も撮れると噂が有る様だ。

第2次世界大戦が終わる(1945年9月2日)直前の1945年(昭和20年)7月9日17時頃、テニアン西飛行場を多数のB-29と1機の気象観測機が離陸し出撃した。

アメリカ軍は和歌山市上空に進入し、23時36分に河西部の湊河口付近へ照明弾を落として、爆撃を開始した。

その後、アメリカ軍は紀ノ川駅周辺を爆撃し、和歌山市駅、ぶらくり丁、和歌山県庁舎付近、和歌山市役所付近などに焼夷弾や油脂弾を落としたため、中心部はほぼ壊滅状態になった。

また、市民は4,000坪の空き地になっていた旧和歌山県庁舎跡(現:汀公園)に避難していたが、そこを火災による熱風が襲ったため、そこだけで748人もの死者を出してしまった。

この空襲により、死者1,208人、重傷者1,560人、軽傷者3,000人、行方不明者216人、被災者113,548人、焼失家屋31,137戸の被害が出た。

和歌山県和歌山市西汀丁

 和歌山県和歌山市西汀丁26 

3 thoughts on “汀公園

  1. 匿名

    この母子シミは供養始めたら現れて供養が終わるとスーッと消えたと当時の新聞にも載り、和歌山県民なら皆周知の事実。もっと上位でも良さそう! 空襲時は住民の多くはは焼夷弾による熱波や火傷から逃れようと、和歌山城を取り囲むお堀に飛び込んだが最後、お堀の水は焼夷弾の熱で煮えたぎっており、皆この煮えたぎるお堀で息絶えたのは県民には有名な話。合掌。

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    1. 匿名

      実際には煮えたぎってはいなかったそうですよ。
      体験した知り合いが当時のことを語ってくれました。

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