供養碑の心霊スポット19 件掲載

死者や祖先の死者の霊に供え物をして死者の冥福を祈る供養を目的とした建てる石塔の教建築物。
不特定多数の場合は「慰霊碑」になる。

供養されても成仏できずに彷徨っている霊が現れる。

  • 緑山峠

    某テレビ局のスタジオの近くに寂れた遊歩道がある。この遊歩道はかつて、走り屋たちの有名なコースで「緑山峠」と呼ばれていた場所。

    幽霊の目撃談は数多く、頭と身体が裂かれて亡くなった首無しライダーが現れるという話しや、火の玉などが目撃されているという。

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  • 佐賀県立森林公園(嘉瀬処刑場跡)

    この森林公園は昔、江戸時代から明治時代まで嘉瀬処刑場として使用されてたと言われており、地元では心霊スポットとしても知られている。

    処刑された人々を供養するための千人塚がテニスコートの駐車場にあるが、夜になると罪人の霊たちが騒ぎ出し写真を撮ると霊やオーブが写るという。

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  • 小鷹刑場跡

    最近では余り噂は少なくなったようだが、誰もいないのにどこからか奇妙な声が聞こえてくる人魂が飛び交う生首が飛ぶ等と噂されていたこともあると言われている。

    与兵衛という材木商だった男性が隠れキリシタンの罪で斬首され街道沿いにさらされた、という記録も残っているそうだ。

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  • 久木踏切

    JR鎌倉駅と逗子駅の間にある「久木踏切」では、白い服を着た女性の霊と電車が衝突する事例が度々発生している。

    ある時期に、久木踏切では立て続けに飛び込み自殺が発生したそうで、踏切近くには轢死者を供養する轢死者供養塔が設置されている。

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  • 釜谷トンネル

    北側の出口では老婆の霊の目撃が有り、特に赤い車に乗っている人が見かけることが多いと言われている。

    トンネル内では赤い車が前を走っており、スピードが遅いので追い越した時に運転席を見てみると、誰も乗っていなかったという話や、フロントガラスに女性の手が当たってくるという心霊現象が有るそうだ。
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  • 蒙古塚(蒙古軍供養塔)

    曰くが有る事から、心霊スポットと言われているのだろうが、特に霊の目撃情報などは無いが、この場所で120人ほども首を刎ねられており首切り塚」とも呼ばれている。

    供養塚は、1928年(昭和3年)に日中友好として造られた。

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  • 泣塔

    鎌倉時代に合戦で死んだ武士たちの怨霊を供養するために、1356年(文和5年)2月20日に周辺の住民によって建てられたと考えられている。

    泣塔が建つ土地を所有した者は貧乏になる泣塔を見た者が後日幽霊と遭遇したり、祟りに遭う等と昔から言われている。
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  • オチョバンバ

    「オチヨばんば」と呼ばれた老婆がこの地で不幸な死を遂げ、地元の人がお千代さんを供養するために碑を建てたのだという。

    石碑は小さいが、お千代さんの怨念が宿り危険だとされ、柵と塀で囲まれている。そして、その石碑は絶対に触ってはいけないと言われており、触ったり罰当たりな事をすると必ず祟られると言われている。
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  • 鳥取藩処刑場跡

    処刑者の最も多かった年は1740年(元文5年)の19名で、元文百姓一揆の指導者達だったという。そのうちの12名は8月に処刑された

    「首切り地蔵」があり、1740年(元文5年)の題目石と1625年(寛永2年)の南無阿弥陀仏の石碑が立っている。

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  • 三崎公園

    秋田県のかほ市象潟町小砂川と山形県飽海郡遊佐町吹浦にまたがる海浜の公園で、1868年(明治元年)7月の三崎山攻防戦での犠牲者を供養する為に建てられた「三崎山古戦場戦没者供養塔」付近に軍人の霊が出るという噂や、入水自殺が多く自殺者の霊が出るという噂や、車に赤い手形が付くなどの噂がある。

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  • 野麦峠

    野麦峠の岐阜県側に亡くなった農民の女工員達の霊が出ると言われている。

    明治の初めから大正にかけて出稼ぎに来ていた飛騨の村々の大半が10代の女工達が工場の余りにも酷い待遇に耐えかねて、逃げる途中に崖下に転落して亡くなった女工員達が何人も居たのだという。現在では亡くなった人を供養する為に供養碑が建てられている。
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  • 小浜山処刑場跡

    江戸時代に罪人が首を落とされ晒し首にされていた場所でもあった事から、夜にゆらゆらと浮遊する生首や、首の無い着物姿の幽霊の目撃が有るようだ。

    刑場は江戸時代1759年(宝暦9年)、韮山代官所に併合後も幕末に至るまでそのまま使用され、その後は葬祭場ができるまで火葬場としてその姿をとどめていた。

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  • 官軍塚

    男性の霊が出ると言われているが、目撃する人は少ないようだ。

    1869(明治2年)戊辰戦争で北海道に援軍に向かった熊本藩士350人が勝浦市川津とおりかかった時に暴風雨に襲われ、汽船は難破し、130人の死者が出た。 詳細を見る

  • 地蔵峠

    事故で死亡した者の霊浮遊する生首が出るという噂から、残酷な虐殺を行って死んでいった霊たちが出ると言われている。

    その昔に連合赤軍が、「総括」と称し残酷な虐殺を行った現場として知られている。

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  • 粟田口刑場跡

    平安京の時期から江戸時代まで処刑場として使われており、15,000人ほどの人が処刑されてきたと言われている。

    そういった場所だけに心霊スポットとして噂されるようになった。
    首の無い霊や、首だけの霊が出るのだという。

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  • 汀公園

    第2次世界大戦末期にアメリカ軍の空襲で748人が亡くなった場所で、大きな「戦災殉難者供養塔」が設置されている。

    現在は取り壊され無くなってしまったが、隣にあったビルの地下駐車場には「子供を抱いた女性の形をした染み」があったという。幽霊の目撃情報もあり、心霊写真も撮れると噂が有る様だ。
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  • 三段壁

    白浜を代表する自然景勝地の三段壁だが、自殺が多い事で知られており心霊スポットとしても知られ、大岸壁の手前に、投身自殺者 海難死没者 供養塔が設置され、自殺者を思いとどまらせる為のいのちの電話も設置してある。

    地下36mには海蝕洞窟が形成されており、断崖上から地中をエレベーターで降りると洞窟内で写真を撮ると心霊写真が撮れる、三段壁の一番端まで行くと無意識に引き込まれてしまう等と言われている。

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  • 百人浜

    昔、船が遭難して100人ほどが死亡した事から名が付いた「百人浜」では、近くにあるキャンプ場でテントを張りキャンプをしていると、誰もいないのにテントを叩く音がして外に出てみると誰も居ないという現象や、誰も居ないはずなのに足音が聞こえてきたり、人のうめき声が聞こえてきたりといった心霊現象が起きているという。

    死んでいった人たちが彷徨っていると言われており、この現象は前のキャンプ場で多く発生しており、余りにも多いので何回かキャンプ場を移転しているという。
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  • 響ヶ原古戦場

    1581年(天正9年)12月26日(旧暦で12月1日)に相良義陽と甲斐宗運が壮絶な戦が有り多くの死者が出た。12月1日の夜にここを通ると、死んでいった兵士たちの勇ましい叫び声や、刀が交わう音や、馬のひづめの音が聞こえて来るという。

    この現象は以前から言われえている事で、響ヶ原古戦場の説明文でも書かれている昔からの心霊スポットと言えるだろう。
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