平安京の時期から江戸時代まで処刑場として使われており、15,000人ほどの人が処刑されてきたと言われている。
そういった場所だけに心霊スポットとして噂されるようになった。
首の無い霊や、首だけの霊が出るのだという。
江戸時代には年に3回この場所で公開処刑が行われており、1000人処刑されるごとに供養碑を建てたとされ、幕末までには15基の供養碑が建てられた。
明治時代に入り、廃仏毀釈という仏教を排斥し、寺などを壊すこと。明治維新の神仏分離によって起こった仏教破壊運動が起こり、石材として転用されてしまってほとんどが失われてしまった
。現在では一部が残っている。
「首が外れるランナーが出没した」という怪談話もあるそうです。
京都府京都市山科区厨子奥花鳥町1−1