緑山峠

某テレビ局のスタジオの近くに寂れた遊歩道がある。この遊歩道はかつて、走り屋たちの有名なコースで「緑山峠」と呼ばれていた場所。

幽霊の目撃談は数多く、頭と身体が裂かれて亡くなった首無しライダーが現れるという話しや、火の玉などが目撃されているという。

「緑山峠」を訪れる走り屋の数と比例して、事故死者も多かったそうだ。実際に、事故死者のために建てられた供養碑あり「最愛の子よ 十七歳の青春 ここにて 永遠に眠る 昭和六十三年五月二十一日」と書かれている。

峠といっても、山中にある峠道などではなく、周りを住宅街に囲まれた小高い丘の上を走る道路で、山中の峠道のような激しいアップダウンはないものの、かなり蛇行しており走り屋達が毎晩のように走っていたという。

神奈川県横浜市青葉区奈良町2065−1

  1. 2022年(令和4年)7/21(木) 日本全国 最恐心霊スポット完全ガイド

1 thoughts on “緑山峠

  1. 雨雲模様

    2022年9月10日土曜日、怪談イベントを聞き終えて、前々から気になっていた場所というのもあって18時過ぎに到着したのですが、霊園から緑山スタジオに向かうまでの道のりは街頭がなく、持ってきた懐中電灯の明かりを頼りに心霊考察してきました。やはり暗くなってからの緑山峠を歩く人は私ぐらいしかおらず、周りはほぼ誰もいなかったのですが、電波塔の近くまで歩き進んでゆくと突如わたしの右耳にふと”ブーン”という音が聞こえてきました。最初は蚊か蠅か何かかなとふと振り返りましたが、いやバイクの音だったような、それにバイクが通り過ぎたような、バイクの霊など果たしてあり得るのか、過去にフラッシュバックしたのだろうかと不思議な気持ちになりながら、通行止めの柵のところへとやって来て復路へとつこうとした際の事です。街灯がまばらにある道をゆっくりと写真撮影をしながら歩き進んでゆくと右手の緑山スタジオのフェンス越しに、今どき見ないリーゼントのヘアースタイルが特徴的な白い特攻服を着た17歳か18歳ぐらいの若い男性がいました。当然ながら不法侵入ですし、何だろうと思ってちらっと見たら睨まれてスッと消えたのです。それから先はこのリーゼントの兄さんとの鼬ごっこが続いたわけですが、最終的にわたしが怖いとも逆に上の木々から身を隠すようについて来ていたのも分かっていたし、怖くないぞとばかりに相手にしなかったら、公園の入り口、ちょうど二輪車の通行止めの柵がある付近にある雑草をリーゼントの兄さんは勢いよく蹴り上げて去っていきました。分かりやすく言うならば、思春期のまだまだ反抗したいお年頃で、自分の気持ちに対して素直になれず”冷やかしに来たんだろ”とばかりに思ったかもしれない、だがしかし内心は心細かったに違いない。わたしが最期に見た彼の表情はとても寂しそうでした。やんちゃ盛りで若さゆえ遊びたいときに人生を謳歌し過ぎたから天国への階段を急ぎ過ぎて登ってしまったかも、生きていたらまだまだやりたなかったことがあったと同時に自らの愚行に対して強く反省しているとも訴えられたような気がしました。

    その他にも恥じらいの気持ちからか、姿を決して現したりはしなかったがちらほらとわたしの動向を注意深く見ている複数名の視線もありましたし、あとは暗闇のフェンスのほうに向かって走り去る帽子姿の男性、そして駐車禁止の小式のところで気づいてい欲しいのかニコっと笑って待ち伏せする男性など、わたしが確認できた御霊だけでも若い方々が多かったと思います。訪れて最後に通行止めの柵の前で”ありがとうございました、安らかにお眠りください”と両手を合わせ合掌しました。ここは、事故により若くして散った方々の墓場とも言うべき場所です。怖いから決して近づくなとまでは言いませんが、是非一度は供養目的で訪れてほしい場所かなと思います。

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