1581年(天正9年)12月26日(旧暦で12月1日)に相良義陽と甲斐宗運が壮絶な戦が有り多くの死者が出た。12月1日の夜にここを通ると、死んでいった兵士たちの勇ましい叫び声や、刀が交わう音や、馬のひづめの音が聞こえて来るという。
この現象は以前から言われえている事で、響ヶ原古戦場の説明文でも書かれている昔からの心霊スポットと言えるだろう。
響ヶ原古戦場の説明文
天正九年(室町・安土桃山時代、今からお よそ四百年ほど前)十二月二日、相良義陽と甲斐宗運の軍勢がここで戦いました。
阿蘇氏を討とうとする島津義久は、軍の 牛頭に相良義陽を命令し、同じ年の十二月 一日、義陽は多数の平勢を率いて八代を出発し御船に向かいました。
はじめに娑婆神峠(豊野村と小川町の境)に陣をおき、中央町の赤峯尾城、甲佐町の豊内城を攻め、その翌日は、更に陣を響ヶ原に進めました。
赤峯尾城と豊内城での戦いでは、相良軍が優勢で敵の大将の首をとることが出来ました。一生懸命に戦った兵士たちのために響ヶ原では酒盛りが行われました。
甲斐宗運は、この隙をみて、勝った喜び でいっぱいの相良軍の大将のいる陣地へ 攻めこみました。まさか酒を飲んで休憩し ているところへ攻めこまれろとは思いも しなかった相良軍はふいをつかれ大将の義陽をはじめ多くの戦死者を出しました。(勇士七十余人雑兵二百余人)
大将がいなくなった相良氏はおさめていた八代地方を島津氏によって奪われ、義陽の子忠房は球磨一郡の小さな土地を支 配する領主へとあともどりしました。
戦場となった響ヶ原には、我陽をはじめ戦いで死んだたくさんの兵の魂を弔うた めに供養碑が建てられました。
言い伝えによればいくさのあった夜(十 二月一日)に響ヶ原を通ると馬のひづめの音や刀の切り合う音にまじって多数の兵 士の勇ましい叫び声が聞こえるといわれ ています。
富野村教育委員会
熊本県宇城市豊野町糸石
地図にマークがありますけど、すぐそばに相良氏を奉ったであろう相良神社(相良堂)がありますから、だいたい神社を中心にして、主に周辺でなんなりと起きてる模様です。
適当な日時に行ってもいいんですが、心霊スポットとしては弱め?なので、戦が行われた12月に行った方が良さげです。