鳥取藩処刑場跡

処刑者の最も多かった年は1740年(元文5年)の19名で、元文百姓一揆の指導者達だったという。そのうちの12名は8月に処刑された

「首切り地蔵」があり、1740年(元文5年)の題目石と1625年(寛永2年)の南無阿弥陀仏の石碑が立っている。

昔、このあたりに藩の斬刑場があったことから「地蔵尊」の名前がついたと言われており、地蔵尊は1705年(宝永2年)に造立されたと考えられており、当初は木で作られた地蔵だったが、1770年(明和7年)に石像になった。

石碑が有り、題目石に「元文五申八月一日」と刻まれていることから供養碑だったと思われる。

鳥取県鳥取市西品治529−2

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