伊原第一外科壕(アブチラガマ)

ここに訪れると見えないのにすぐそこに人が居るような存在感を感じたり切り取られた人の声のような「けて・・」のような音が聞こえてくる事も有るそうだ。

ここで悪霊に憑りつかれる可能性が高いと言われているので面白半分で来ない方が良いという人も居るそうだ。畑の下にはまだ多くの遺骨が眠っているとも言われている。

沖縄陸軍病院第一外科壕(伊原第一外科壕 アブチラガマ)跡の基本情報

1945年5月末、学徒隊は南風原陸軍病院壕などから日本軍とともに本島南部に撤退し、摩文仁村(現糸満市)伊原に到着。

山城本部壕や伊原第三外科壕、伊原糸数分室壕(後の伊原第一外科壕)などに学徒が配置された。
第一外科壕では6月17日、至近弾が爆発し学徒3人が死亡。18日、日本軍が解散命令を出し、同壕は重傷の学徒9人が取り残され、米軍に投降した2人以外の7名が死亡壕を出た学徒も数多くが亡くなった

1945年6月18日の解散命令が出るまで、200名余りが避難していた。

沖縄県糸満市伊原212

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